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1998年11月29日(降臨節第1主日) |
「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。」(ローマの信徒への手紙13章8節)
律法(トーラー)はイスラエルの民の日常生活を律する最も大切なものでした。
これは「教えること」という意味があり、彼らの信仰と道徳を正しく導くものでした。
この律法は彼らが神に対して祭司の国、聖なる民となるよう(出エジプト記19:6)神が彼らと結ばれた契約に基づくものであり、彼らが地上のすべての人間に奉仕するため聖なる者であるよう命じています。
こうして、イスラエルの律法は万人の普遍的平等性と人間の権利を守るべきこと、異邦人をも愛することを求めつつ、神の愛の広さと深さを彼らに示しています。
さて、イエスは当時のユダヤ教がこの律法の精神から遠く離れていることを憂慮し、イスラエルの民が真の神のもとに帰るよう教えられました。
また伝道者パウロは近く訪問しようと願っているローマの教会の信徒に対して、彼らが異邦人の救いに対しても重大な責任があること、しかもそれが律法によるのではなく神の愛によって生きる日常の宣教活動をもって達成されるべきであると教え、主イエス・キリストを身にまとって聖なる者となるようにとローマの信徒たちに勧めています。
1998年12月6日(降臨節第2主日) |
本日は武藤京都教区主教による堅信式があり、5名の方が堅信のサクラメントを受領されました。
特梼[降臨節第2主日]
慈しむ深い神よ、あなたは悔い改めを宣べ、救いの道を備えるため、預言者たちを遣わされました。
そこ警告を心に留め、罪を捨てる恵みを私たちに与え、購い主イエス・キリストの来臨を、喜びをもって迎えることが出来ますように主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン。
1998年12月13日(降臨節第3主日) |
「農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。」(ヤコブの手紙5:7)
「ヤコブの手紙」は使徒パウロが強調する”信仰による義”(ローマの信徒への手紙3:28ほか)を曲解し、日常の行為を軽視する者を戒めるもので1世紀末か2世紀初めに書かれました。
さらに手紙は富んでいること貧しいことを信仰の問題とし、これらいづれの状況の人にも神の配慮と恵みがあるのだから、人は「終わりの時のために宝を蓄え」(同5:3)、苦しいときに祈り、喜びのときに賛美の歌をうたえと勧めます。
なお、手紙はここで貧しい生活農夫の生活を例にします。
彼ら農夫は飢えによく忍耐し、春秋の雨を待ち、大切に保存してきた種を蒔いて収穫の時を迎え、やっとのことで農園主から賃金を貰い、初めて大きな喜びを味わいます。
このように神のみ国が到来する「終末の実りの時」まで信仰を守り続ける忍耐と祈りが私たちに大切であると手紙は教えています。
”天から降る雨と地の実り”、これは神の豊かな恵みであり、「主が来られるときまでの忍耐」(5:7)をもって待望しましょう。
私たちはまた「心に植え付けられたみ言葉を受け入れ」「み言葉を行う人」となるよう励みましょう。
1998年12月20日(降臨節第4主日) |
「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中から復活によって力ある神の子と定められたのです。」(ローマの信徒への手紙1章3節)
当時は不治の病とされていた重い皮膚病を患っていた10人を主イエスは癒されましたが、「大声で神を賛美しながら戻ってきた」のはたった一人、しかも「イエスの足もとにひれ伏して感謝した」彼はサマリヤ人でした。(ルカ17章)
主イエスは彼の心に信仰を認められました。
福音書はイエスと人々とのこのような劇的な出会いをいくつか記していますが、信徒たちはこれらの出来事を聞き、礼拝のたびごとに感謝と賛美をささげました。
そしていま、私たちもこのような感謝と賛美を神にささげるのです。
でも、こうした私たちの礼拝にはイエスに対する堅い信仰が必要です。
これを私たちはニケヤ信経とか使徒信経によって信仰の告白としています。
さて、このサマリヤ人はイエスの癒しは罪の赦しとも理解しました。
彼は癒され、しかも神に愛されていることに感動し、大声を張り上げて感謝と賛美をささげました。
パウロもまたこのような信仰をもって「御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています」(ローマ1:9)と語っています。
1998年12月25日(降誕日) |
「主は聖なる御腕の力を国々の民の目にあらわにされた。地の果てまで、すべての人がわたしたちの神の救いを仰ぐ。」(イザヤ書52:10)
イザヤ書40−55章の部分は紀元前722年の北王国イスラエルの滅亡、続く前586年の南王国ユダの滅亡によって国を失ったイスラエルの民が、やがて前539年にペルシャ王キュロスによって自分たちの国への帰還を許されエルサレムに神殿を再建する時代(前520−515年)以前までの期間にわたっています。
この部分のイザヤの預言は、神がエルサレムの民の罪を赦し、彼らを祖国に帰還させることでご自身の栄光を示される時が到来していると告げて、イスラエルの民に宗教的な希望を与えています。
ここで預言者イザヤは、平和と救いを宣告する「恵みのよい知らせ」(福音)を伝達し、この神の救いがやがては「地の果てまで」に及ぶと知らせましたが、新約聖書はこの福音が神の御子イエスによって現実のものとなったと宣告します。
この福音を携えて世界で最も貧しく原始的な暮らしをしているアフリカ大陸スーダンの人々のために自分の命を犠牲にして宣教し、ついに病に倒れたアメリカ聖公会の宣教師がおります。
1998年12月27日(降誕後第1主日) |
「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して与えられた」(ヨハネによる福音書1章17節)
イエスがこの世に降りられたことは旧約のメシアについての預言が現実のものとなったとするのが新約聖書の主張でありますが、ヨハネ福音書は私たちを救いへ導くのは律法ではなく、神の恵みと真理でありイエス・キリストがそのことの保証であると語ります。
神の恵みは神に対する功績によって支払われる報酬ではなく、無条件、無制約に与えられるものであって、それは確実で信頼するに足る事実、つまり「真理」であると福音書は語っています。
従って私たちが神によって救いを得るためにはイエス・キリストを無視または否定することが出来ません。
人間の歴史は罪と悪にみちみちています。
その暗黒に光が指すことがあっても、その光は不確定、不完全であってやがては消滅します。
こうした世にイエス・キリストが「聖霊によって、おとめマリヤから肉体を受け」(ニケヤ信経)ることによって、神ご自身が歴史の主となられ、すべてのものを新しい生命に生かされようと始められたのです。
こうした聖書の歴史観に立つとき、私たちは新しい人生を生き始めるのです。
1999年1月3日(降誕後第2主日) |
「天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」(フィリピの信徒への手紙2章10−11節)
西欧諸国にとって今年は画期的な時代へと突き進むことになりました。
それは欧州単一通貨「ユーロ」を実行させ、自国の通貨を捨てることになったことです。
この動きは1957年3月ヨーロッパ経済共同体(European Economic Community)が創設されたことに始まり、周到な協議、検討がなされて実現に漕ぎ着けた出来事であります。
そしてこの動きは欧州の文化の統合と多様性をより豊かに実らせることでしょう。
この精神的基盤はキリスト教信仰があります。
神がイエス・キリストによってこの世界を「神の国」へと導きたもうことを、この経済的変革に認めようとすることは慎重さが求められますが、ここでキリスト教が人々に公正な目標を示す責任があるでしょう。
この西欧社会の変革のとき、日本も新しい視点に立って国際関係の変革を目指さねばなりません。
「暗たんたるこの世紀末にこそ飛躍へのバネになるはずだ」(日本経済新聞98年12月31日「春秋」欄)とあります。
キリストの平和を祈りましょう。
1999年1月10日(顕現後第1主日・主イエス洗礼の日) |
「神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。」(使徒言行録 10:38a)
古代バビロニヤやペルシャでは中世期まで惑星など天体の位置や運行を観察し、人や国家の吉兆と運命を占うこと(占星術)がひろく行われていました。
誕生間もないイエスを拝みにやってきた学者たちもそうした人でした。
ローマを中心とする西方教会では4世紀になってこれを記念して「顕現日」としましたが、3世紀にすでにコンスタンチノポリス(現イスタンブール)を中心とした東方教会ではこの日を《主イエス受洗の日》と定めていました。
私たちの祈祷書は顕現後第1主日にこうした東西両教会の伝統を併せ持つようにしています。
「どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられる」(使徒言行録10:35)とカイサリヤのローマ人コルネリウスに大胆に宣教したペトロは、イエスは神が聖霊と力によって《油注がれた者》(キリスト)としてこの世に派遣された方で、「人を分け隔てなさらない」神の救いを実現されると語りました。
キリスト教会の解放性とはこうした意味であり、すべての人にイエスの福音を伝達し、神の国の民とする使命を担っています。
1999年1月17日(顕現後第2主日) |
「主の最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。」(コリントの信徒への手紙・ 1章8節)
私たちがあと2年で終えようとする今世紀の特色は「科学技術の勝利へのクレド(信仰告白)」であると言えます。
極地とか宇宙の探検などはその最たるものでしょうが、情報とか通信手段の革新が子供たちの日常生活にまで影響しています。
家族間の対話がテレビ・ゲームによって妨害され、家庭とは名ばかりで、家庭破壊を招きつつあります。
私たちはこの危機的状況に気付き、希望を分かち合って生きることが大切です。
さて、約2000年の昔の都市コリントに・年半滞在し伝道した経験のあるパウロは、物資の交易が盛んで活気のあるこの町のキリスト教信徒たちの信仰生活にも社会的、道徳的、宗教的な乱れを認めざるを得なかったのです。
パウロはこのような信徒たちに対し、それでもあなたがたは「キリスト・イエスによって聖なる者」とされ、「キリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています」と語り、主イエス・キリストとの交わりにあって神の国に招かれる希望を持ち続けよと諭します。
1999年1月24日(顕現後第3主日) |
「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」(マタイ福音書 4:12、イザヤ書9:1)
マタイ福音書は旧約の預言が成就するものとしてイエスのガリラヤ伝道を理解します。
ガリラヤ地域、またその西方の肥沃な地ゼブルン、ナフタリの地は前八世紀にアッシリヤによって征服されて住民は強制的に移動させられ、他民族が数世紀をかけて入植して以来、イスラエル民族の純粋性が損なわれてしまい、「異邦人のガリラヤ」と軽蔑されるほどになっていました。さて、時は後29年、洗礼者ヨハネが死海東部マケルス要塞で投獄され、やがて斬首されますが、その彼に替わって彼同様に《神の国出現の日》が到来したことを人々に宣教したのがイエスである、とマタイ福音書は語ります。
こうしてイエスの宣教はユダヤ人より異邦人へと宣教の対象の方向転換が図られ、神の福音の広がりが鮮明に示されました。
「暗闇に住む民、死の陰の地に住む者」、それは私たちのことでもあります。
私たちもイエスの出現の意味をマタイ福音書に読みとって神の福音を語りましょう。
「獅子がほえる、誰がおそれずにいられよう。主なる神が語られる、誰が預言せずにいられようか。」
1999年1月31日(顕現後第4主日) |
「心の貧しい人々は。幸いである。天の国はその人たちのものである。」(マタイによる福音書 5章3節)
イエスは貧しさ、悲しみ、飢え、などという不幸に代えて、神は私たちを神の国に招き導かれ、大いに祝福されると教えられます。
旧約のイザヤ書61章「貧しい者への福音」の言葉を読みましょう。
マタイ福音書はこの預言の言葉がイエスにあって実現したと宣言します。
〈幸い〉(マカリオス)とは私たちが神の国の民とされた喜ぱしい状態のことであり、イエス・キリストにあって私たちは本当に幸いなのです。
しかし、パウロはガラテヤの教会の信徒に「あなたがたが味わっていた幸福はいったいどこへ行ってしまったのか。」(ガラテヤの信徒への手紙 4章15節)と厳しく尋ねます。
なぜでしょうか。それは教会にまでユダヤ教化の波が押し寄せて、信徒が再ぴ律法に規定された宗教行事を重視しようとし始めたからです。
イエス・キリストによって神の国の民とされた幸いを忘れ、諸霊の支配下の奴隷状態に逆戻りするといった信仰の失格者になってはならないのです。
ここで私たちも神から罪を赦され、この世の悪から解放された幸いを忘れず大切にして、かって歩んでいた状態に逆戻りしないよう心がけなくてはなりません。
イザヤ書 61章 「貧しい者への福音」
1:主はわたしに油を注ぎ
主なる神の霊がわたしをとらえた。
わたしを遣わして
貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。
打ち砕かれた心を包み
捕らわれ人には自由を
つながれている人には解放を告知させるために。
2:主が恵みをお与えになる年
わたしたちの神が報復される日を告知して
嘆いている人々を慰め
3:シオンのゆえに嘆いている人々に
灰に代えて冠をかぶらせ
嘆きに代えて喜びの香油を
暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。
彼らは主が輝きを現すために植えられた
正義の樫の木と呼ばれる。
1999年2月7日(顕現後第5主日) |
「あなたがたは地の塩である。・・・・・ あなたがたは世の光である。」(マタイによる福音書 5章13、14節)
主イエスは「あなたがたは地の塩である。」(マタイ福音書5章13節)と弟子たちに語っていますが、その頃中東での塩は死海(塩の海)やガリラヤ湖近くのマグダラで岩塩として採取され、塊で売買されていました。
その塩は苦り(にがり)が多く含まれていましたが、調理には欠かせないものでした。
でも、その塩は湿気と日光によって、それに含まれた苦りなど添加物の効果を損ない、塩は新鮮さを失い、アルカリ性が強くなってもう食用に不向きとなってしまいます。
さて、古代パレスチナの人々は穀物を神々にささげる際に塩をそれに振り掛けたり、香料を調合するとき、それに塩を添加し混ぜ合わせて清めました。
また神がその民と子孫に対する契約の印としても塩を使いました。(出エジプト記30:35,レビ記2:13,民数記18:19)
ところで原始キリスト教は祭祀に塩を用いることを止め、ただ塩の大切さをこの福音書のようにイエスの言葉に示し、「世の光」とともに比喩的にファリサイ派を批判しつつ、キリスト者こそ真実の「塩」また「光」であるという自覚を高めました。
この自覚は私たちにも本当に必要なものです。
1999年2月14日(大斎前主日) |
「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(フィリピの信徒への手紙 3章13、14節)
《なんとしてでもキリストの死と復活を自分のものとしたい》という使徒パウロの思いを自分のものとして「自分の十字架を負う力を強められ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられますように」と私たちはいま祈りました。
パウロは自分の人生の目標をただこの一つに絞りました。
これは苦難また苦難を負い続ける伝道者パウロが伝道者パウロが最後に到達した信仰による決断でした。
明るい希望を持つことが出来ず、暗い人生を強いられた人がこのパウロによって自分の生き方を転換させた人々がいます。
私たちもそうした一人でありたいものです。
この自覚を持って生きることで私たちは《自分の十字架をキリストとともに負う》ことが出来ます。
私が出会った一婦人“しげ”さんはパウロにより「キリストを知り、キリストを得て」救いの喜びを体験しました。
苦難や悩みに遭遇するとき、このように自分を解放することが出来ます。
なお、これは《仕える》ことによってのみ達成できることなのです。
1999年2月21日(大斎節第1主日) |
「恵みの賜物は罪とは比較になりません。・・・・・恵みが働くときには、いかにおおくの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。」(ローマの信徒への手紙 5章15、16節)
キリストの復活を感謝する復活日(今年は4月4日)の前、主日を除く40日を大斎節と言います。
斎日とは宗教的な断食を行う日のことで祈祷書(8頁)にそのことが規定されています。
大斎節はこの斎日を強調して守る40日間を指します。
ここで私たちはこの修練を行うため聖餐式の聖書日課を学び、ただ無暗に厳格な修練を励むだけに終わらぬようにしましょう。
ジャン・カルヴァン(1905−1564)は厳格さを誇るパリ大学モンテギュ学寮で神学を修めましたが、《針の先に天使が何人乗れるか》といった類のことを真剣に議論している学者に対し、《それは人間にとって何の関係があるのか?》と厳しい議論を浴びせたユマニストたちから強烈な影響を受けて、教会の制度や伝承よりも聖書の教えに従うべきであると主張して教会の改革と信仰の覚醒に努めました。
しかし、彼は次第に寛容を欠くようになり、多くの人を不信仰の罪で断罪しました。
信仰熱心が神の恵みの賜物の素晴らしさを被い隠さないよう、私たちは寛容の心を無くしてはなりません。
1999年2月28日(大斎節第2主日) |
「神が御子を遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネによる福音書 3章17節)
ジャン・カルヴァン(16世紀、宗教改革者)に共鳴し彼の理解者となって、一時は彼とともに行動した人にセバスチャン・カステリヨン(1515−1563,フランス)というユマニスト(人文主義者)についてお話しします。
殺害の危機にあったカルヴァンをジュネーブに迎えたカステリヨンでしたが、一途に自分の信条を市民に強制しようとするカルヴァンに彼は疑問を抱くようになり、カルヴァンの予定説を批判するまでになりました。
彼はやがてジュネーブから追放されドイツ領バーゼルに移り住むことになります。
そこで彼は宗教改革者たちとカトリック教会とが激しく争い、流血事件にまで発展したフランス社会の《狂信と不寛容》をユマニストとして観察し、争う両陣営を批判し、神の真理の擁護者が狂信のあまり殺人者に変身する危険に対し、南米植民地には彼らより遙かに《善良な野蛮人》がいると言いました。
彼はこうして信仰も狂乱に陥る危険があること、その信仰の強制は厳に慎むべきであり、信仰が現世の武器を弄ぶようになれば、神からも人からも見放される結果を招くと警告しました。
1999年3月7日(大斎節第3主日) |
「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(ヨハネによる福音書 4章24節)
ヨハネ福音書4章には「イエスとサマリアの女の出会い」が記されています。
「ヤコブの井戸」がその出会いの場ですが、この記事を読みながら、この女に起こった出来事を追体験してみましょう。
この井戸はサマリヤの地にあってイスラエルの民には由緒深いものでした。
だからこの女はこの水を求めて約1キロの道を歩いてやってきたのです。
その昼時のこと、イエスの「水を飲ませてください」との語りかけによって素晴らしい対話が始まりました。
このサマリヤの女にとってイエスはユダヤ人、ですから過去のこだわって互いに憎しみ会ってきた相手です。
しかもヤコブは双方にとって共通の偉大な先祖でした。
しかし、この対立の壁が「婦人よ、私を信じなさい。・・・・・・・・霊と真理をもって父を礼拝するときが来る。今がその時である。」というイエスの言葉によって一挙に取り除かれました。
神の《霊と真理》こそが真実の祈りに必要欠くべからざるものであります。
この神の恵みの賜物こそが、私たちを《まことの礼拝をする者》に変革する神の力であります。
1999年3月14日(大斎節第4主日) |
「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」 彼は、「主よ信じます」と言って、ひざまずいた。(ヨハネによる福音書 9章37−38節)
ヨハネ福音書9章はまず《生まれながら目の見えない人の癒し》という奇跡物語で始まりますが、これをよく理解するためには、物語の前後、さらに福音書全体に見ることができる福音書の記者の意図を知る必要があります。
ほかの三つの福音書が奇跡物語をもって、イエスが神的能力とか超自然的力、ただならぬカリスマ(神の賜物)の持ち主であることを示そうとしますが、ヨハネ福音書は奇跡の業を行うイエスご自身が神の救い、神の栄光の現れであることを告げようとします。
「私が命のパンである」(6章)と言われるイエスに向かって、私たちが、「主よ、信じます」と告白することを促します。
このように徴を示すという奇跡の限界を超え、物語を聞く者をしてイエスご自身を問わしめるよう導きます。
このイエスの奇跡とそれに続く安息日論争はエルサレムの城内で仮庵祭と神殿奉献記念祭というユダヤ教の二つの祭りの中間に記されていますが、これもイエスの救いがユダヤ教を凌ぐ神ご自身の働きであることを暗示しています。
1999年3月21日(大斎節第5主日) |
「霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る。」(エゼキエル書 37章9b)
エゼキエル(前6世紀)はバビロニヤ王によって補囚の身となったイスラエルの預言者です。
やがてエルサレムの陥落を伝え聞いた彼は、失意の民に向かって希望の言葉を語ります。
それは神がご自身の霊を彼らに吹き込んで新しい命に生き返らせ、エルサレムの地に連れもどされるという預言でした。
彼が言う「枯れた骨の復活」とは個人の肉体の復活ではなく、イスラエルの民の信仰共同体の回復でありました。
ところでイエスはマルタに「私は復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる」(ヨハネ福音書11:25)と言われてラザロを生き返らせました。
これによって復活のイエスは彼を信じる者にとっては大きな希望となります。
しかし、イエスの復活はエゼキエルの預言と同じく、信仰者の共同体の復活であり、真実の共同体の復活をも意味します。
私たちが「み国が来ますように。」と共同で祈るのは、こうした神を信じる者たちの共同体が「神の国」にまで高められますようにという願いからです。
しかもその共同体は「復活のキリストの体」にほかなりません。
1999年3月28日(復活前主日) |
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ福音書 27章46節)
主イエスが肉体をとって降生された理由は、主が徹底的に人間のなかにあって人間の苦悩、恐れにご自身をさらされ、神に背いた人間の罪、咎を担い、その最も厳しい刑罰である死を耐え抜かれるためでした。
しかし、イエスの弟子たちはこのことを理解することが出来ずにいて、救い主(メシア)は神の力と栄光をもってこの世に現れ、選ばれた神の民を救済するのであるというユダヤ教の信仰を受け継いでいました。
福音書もイエスご自身がこうしたメシアであろうとする誘惑を経験されたと記しています。/P>
しかし、イエスは「人の子(イエス)は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者から排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」(マルコ8章31節)と弟子たちに語り、彼らのメシアの期待をかき乱されました。
主イエスが示されたメシアはイザヤ書52、53章の「苦難と死に服する贖罪の僕」さながらであり、人間のあらゆる悲惨を生き抜き、恐るべき敵、罪と死の支配に服従された後、神の大権と栄光を示されました。
後日弟子たちもこの信仰に立って宣教しました。
1999年4月4日(復活日) |
「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、」(マタイによる福音書 28章8節)
復活日を祝うカードには”ハッピー・イースター”とあります。
この”ハッピー”とはイエスが死からの生に転じ、復活されたという意味ではありません。
イエスが弟子たちに言われた”幸いだ”とは、金持ちや権力者の状態を指さず、貧困、病気、抑圧など人生苦に悩んでいる人々のうちに憐れみの心、純真さ、心の安らぎが豊かにある状態を意味しているように(マタイ13:16)、聖書は人間に神の力と栄光が働いている状態を「幸い」とします。
「苦難と死に服する主の僕」」(イザヤ52、53)として黙々とメシアのみ業を遂げられる十字架上のイエスには罪と死、死と滅亡すら対抗できない神の絶大な権力と栄光が刻み込まれました。
これを見抜いたのはイエス磔殺(たくさつ)を実行したローマ軍の隊長でした。
彼は息絶えたイエスを見て「本当に、この人間こそ、神の子だった。」と告白しました。(マルコ15:39)
彼はイエスの受難に隠された神ご自身を見出し、神を賛美したのです。
私たちも苦難の主の中に神の現臨を発見し、神の力と愛の勝利を復活の主に認めて神を賛美し、主イエスに深く感謝しましょう。
1999年4月11日(復活節第2主日) |
「あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。」(ペトロの手紙 1 1章5節)
「ペトロの手紙 1」は、迫害に苦しんでいるキリスト教徒たちを励ます目的で97年ごろに書かれた手紙です。
1章3節から4章11節までは洗礼時の説教で、小アジア各地(現トルコ)に「離散して仮住まいをしている選ばれた人たち」の諸教会で読まれた書簡とする聖書学者がいます。
ユダヤ人は当時、ローマ帝国の支配下にありましたが、それ以前セレウコス朝(シリア)王アンテォコス・エピファネスに対して独立の抵抗運動をしました。
これは他民族によるエルサレム神殿の破壊、ユダヤ教に対する屈辱でしたから、彼らの神への信頼にも激しい動揺が引き起こり「ああ、なぜわたしは生まれたのか。我らにはまだ生きる望みがあるだろうか」(1マバカイ記 2:7−14)と苦悩しました。
こうした中でユダヤ人は自分たちの信仰共同体を最後の勝利に導く神の大権と栄光の顕現を待望し続けました。
この貴重な経験を今や迫害に苦しむキリスト教徒が引き継ぎます。
ペトロの手紙は「キリストの苦難とそれに続く栄光」(1:11)と記します。
1999年4月18日(復活節第3主日) |
「あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになった」(ペトロの手紙 1 1章22節)
「ペトロの手紙 1」は、迫害に苦しんでいるキリスト教徒たちを励ます目的で97年ごろに書かれた手紙です。
この《魂を清める》とは、洗礼が人々を”霊”によって聖なる者とする(同書1−2)ことを意味しています。
そこで祈祷書「教会問答」16(262頁)も、洗礼とは「聖霊の働きによって、私たちがキリストの死と復活にあずかり、新しく生まれるための聖奠」であると記しています。
「兄弟愛」とはいかにも麗しい人間愛を連想させますが、ここでは「死者の中からのイエス・キリストの復活」による「生き生きとした希望」(同書1−3)から溢れ出る愛をもって兄弟愛としています。
ですからキリストの洗礼にあずかることがどうしても必要です。
兄弟愛をことさらこのように制約しなくてもよいのでしょうが、迫害下にあった小アジアの諸教会にとって「洗礼」の意義を強調し、生き生きとした希望、兄弟愛にあふれた共同体の形成と成長を目指すことがとても重要な課題でした。
教会と家庭、またあらゆる生活の場にあって、洗礼が真に不可欠な者であることを確認し、またこのためにこれからもみ言葉を学び、礼拝に参加いたしましょう。
1999年4月25日(復活節第4主日) |
「ギリシャ語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。」(使徒言行録 6章1節)
私たちが日常こだわることがらは食べ物、言語、宗教でありますが、初期エルサレム教会でもこれが原因となって悶着と対立が起こりました。
それはエルサレムに住むギリシャ語を話して暮らすユダヤ人集団に属するやもめへの不公平な食糧分配でした。
そこで教会は急ぎ執事職に7人を選んで問題を解決し、分争を回避しました。
さて、人間の集団は絶えず生活習慣や宗教で対立し争います。
トルコ東部とカスピ海に挟まれた地域に暮らすキリスト教徒のアルメニア人は旧ソ連による分割統治下におかれたり、革命(1923年)後のトルコ共和国により大虐殺を経験し(1915年)、祖国喪失の苦しみを味わいました。
これがその一例です。
なお、迫害下の彼らを精神的に凝固させてきたのは信仰(アルメニア・グレゴリア正教)でした。
かく宗教は民族を同一宗教で統一するものの、他方でそのことが他民族との対立を招く原因となるのです。
ステファノの殉教もその類なのです。
1999年5月2日(復活節第5主日) |
「彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシャ人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。」(使徒言行録 17章4節)
伝道者パウロはテサロニケ(メケドニアの町)に滞在し、ユダヤ人の会堂で「メシアは私が伝えているイエスである」と聖書を用いて論証した結果、彼に従い始めたユダヤ人やギリシャ人が現れました。
しかし、これはパウロの説教に反発したユダヤ教徒の妬みを起こす結果となり、パウロは密かに町を脱出しました。
さて、この書に「彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。」とある「従う」とは元来は”籤で割り当てられる”という意味です。
そこでこの文章は「彼らは・・・・・(神によって)パウロとシラスに与えられた」となります。
ここに”神の計画により、人々は福音を聞いて、パウロの側に付く者と付かない者に分けられた”とする著者の理解があるのです。
伝道者たちの教えを受け、主イエスをメシアと信じて洗礼を受けて信仰生活を送ろうとする私たちも、信仰の共同体(教会)の側に割り当てられた者であります。
私たちはこの恵みを家族や人々にも分けるように努めましょう。
1999年5月9日(復活節第6主日) |
「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書 15章5節)
『賛美歌21』(1997年出版)68番は幼子が洗礼の恵みをいただくときの祈りの歌です。
愛するイエスよ、幼子(おさなご)と共に
招きにこたえ、み前に来ました。
み国の世継ぎと ならせてください。
私たちはこの世にいながら神のみ国の民(世継ぎ)である恵みをいただいています。
それは私たちがイエスを救い主と信じ、イエスにしっかりつながっているからです。
このことを証するのが洗礼です。
洗礼は信仰生活には欠かせない神の恵みです。
これにはこの世よりも神のみ国に生きることが大切であると判断し、選ぶ必要があります。
幼い子供にもこの恵みをいただくように信仰者である親は心から洗礼を願い求めます。
愛するイエスよ、この子の名前を
いのちの書に 記してください。
主よ、この祈りに こたえてください。
この賛美歌は子供の真実の幸いを願う親たちの切なる祈りからでる祈りの歌です。
私たちは子供に対してこうした願いをもって、「愛のみ手によって 育ててください」と祈り、イエスの導きに子供を委ね、また子供とともに礼拝に参加しましょう。
1999年5月16日(復活節第7主日(昇天後主日)) |
「あなたがたの上に聖霊が降りると、あなたがたは力を受ける。」(使徒言行録 1章8節a)
使徒言行録の著者はパウロやペトロの殉教(60年代)や皇帝ティトウスによるエルサレム陥落を経験した「神を畏れる」異邦人キリスト者と考えられます。
当時キリスト者共同体(教会)は預言者エリヤ(前9世紀、北イスラエル王国)か洗礼者ヨハネがメシアとして再来するという期待を捨て、真のメシアはイエスであると信じ、神は「イスラエルのために国の建て直し」を異邦人伝道によって成就されると考え始めました。(使徒言行録15:12−18)
事実、使徒たちは復活のイエスが彼らに聖霊を降し「エルサレムばかりではなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また地の果てに至るまで、私の証人となる。」(1:8b)よう力づけられたと確信し、宣教活動を行いました。
弟子たちに「手を上げて祝福され」「祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」(ルカ福音書24:50−51)イエスの昇天(高挙)は、使徒たちに対する聖霊の降臨へと進行します。
そこで使徒言行録は使徒たちの異邦人伝道が聖霊の力によるものであると強調していることが理解出来ます。
私たちの教会もこれと同じ聖霊によって力づけられた宣教する共同体であります。
1999年5月23日(聖霊降臨日) |
「わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける。・・・・・彼らがわたしの掟に従って歩み、わたしの法を守り行うためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。」(エゼキエル書 11章19、20節)
この契約思想は聖書に一貫して見ることができる《シナイ契約》を起源とします。
これは元来神によって神とイスラエルの民との間にモーセを通して立てられた宗教的秩序を規定するものです。(出エジプト記19章5,6節)
しかし、これが頻繁に用いられているのは、イスラエル民族が存亡の危機に脅かされた時代(BC7〜8世紀)の歴史記述においてです。(ヨシュア記〜列王記下)
彼らはこの契約を常に大切にして神の掟に従って生きるならば、神は必ず危機から救って下さると信じて苦難を耐えました
ここで聖書はさらに神は救いを達成されるため《新しい契約》を民と結び直されると預言し(エレミヤ書31章31−34節)、神は民を罪から清めるため新しい霊を授けると告げました。(エゼキエル書11章19節、36章26節)
さて、この新しい霊がイエスの使徒たちに降り、預言が実現したと宣教するのが新約聖書です。
わたしたちが「主なる聖霊を信じます」と告白する聖霊とはまさにこの神の恵みの賜物なのです。