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2000年1月9日(顕現後第1主日) |
ヨハネによる福音書が書かれた西暦90年代のキリスト教会にとって重要な関心は主イエスはどのような「救い主」であるかという問題でした。
当時のユダヤ教の社会では「救い主がもうすぐ現れる」という期待が強くあり、そのために救い主を待望する教団がいくつか存在していました。
そのうちの代表的なものはエッセネ派またはクムラン教団と今日呼んでいるもの、それにヨハネ教団でした。そして主イエスご自身もこのうちのヨハネ教団に関わっていました。
ヨハネという指導者は今日「洗礼者ヨハネ」と言われています。(この人はこの福音書につけられたヨハネとは別人です。)
洗礼者ヨハネはヨルダン川東岸ベタニアのあたりで弟子たちを集めて洗礼を施し、救い主がこられることを祈っていました。
ところでヨハネ福音書は洗礼者ヨハネを殊更に主イエスの下位におくことによって、つまり主イエスを洗礼者ヨハネの弟子であると言わずして、洗礼者ヨハネが説く「救い主」であると主張しています。
ですからこの福音書では、洗礼者ヨハネが「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」(1章29節)とイエスを紹介しています。
そして福音書は「御霊(みたま)が天からイエスにくだって、彼にとどまった。彼はその神の御霊によって洗礼を人々に授けるお方である」と語ります。
教会はこのヨハネ福音書によって主イエスがどのような「救い主」であるかを学びます。
そして私どもは福音書によって主イエスこそ唯一の神のみ子と信じ、神が主イエスによって与えられる救いを感謝しこの恵みにあずかっています。
2000年1月16日(顕現後第2主日) |
福音書はすべてキリスト教会がイエスを真実にして唯一の救い主という信仰を確立するに至るまでの過程をできる限り自然な形で記しています。
マルコによる福音書3章の7〜12節は、イエスに激しい敵意を示し、イエスをなんとかして殺害しようとするファリサイ派やヘロデ派のユダヤ人がいるものの、ガリラヤ地方のみならずエルサレムや異邦人の地から「おびただしい群衆」(7節)がイエスのもとに群がり、癒しの奇跡をするイエスに信望を寄せている様子を記しています。これがイエスの宣教の初期の状況であったことを私たちは知ります。
次に13〜19節はイエスが神に近ずく場とされていた山に登って、そこで人々を「呼びよせ」、そのうちの12人を弟子として、イエスと行動を共にさせ、教え、訓練し、イエスの宣教活動の協力者としたとあります。この福音書が書かれたのは西暦70年ごろであり、当時のキリスト教会には宣教を継承する「使徒」と呼ばれた人たちがいて教会を指導していました。この人たちは14節、15節にあるイエスの宣教に従事した使徒たちとその後継者でした。しかし、福音書は19節にあるようにイエスに疑いを抱くに至ったユダがいたのですから、当時の教会はこのことをどのように理解したのでしょうか。
福音書を読んでゆくにつれ、イエスの救い主としてのみわざ(業)はその十字架の死と復活によって完成されたのであり、使徒たちの功績に拠らないことは明らかです。私たちは福音書を部分的に読んで終わりとせず、最後まで読み通してイエスによってなされた神の救いのみわざを正しく知るよう心がけ、信仰をより一層豊かに育てましょう。
2000年1月23日(顕現後第3主日) |
[異邦人で耳が聞こえず舌の回らない人のいやし]という奇跡物語のうちの一つを、「マルコ」の著者はここに語っていますが著者の意図を考えてみましょう。
この奇跡が行われたデカポリス地方はヨルダン川の東部で異邦人が住んでいました。異邦人とは、ユダヤ人以外の人のことであり、当時ユダヤ人は自らを、[神の約束によって神の民とされたイスラエルの子孫]と誇り、約束のしるしの「割礼」を受けていない者、したがって神の律法を持たない者を自らと区別して異邦人と呼びました。
さて、福音書の著者は、この奇跡物語を用いることでイエスの福音、すなわち神の救いは、異邦人の人間性(今の言葉では人権とでも言えます)を抑圧するユダヤ人の宗教的伝統を越えて、ユダヤ人、異邦人の別なくすべての人間を解放するものであり、この人間を差別してしまいがちな宗教的伝統から人間の存在そのものを解き放つものである、と訴えています。
イエスによる病や障害のいやしをいわゆる<神癒>として、いまもこれがイエスの救いであるとする信仰がありますが、これは神の救いを適切に理解していません。「マルコ」は、イエスはこの世の悪の力を支配し、これを滅ぼしつくす神の大能と権威を持つメシア(救い主)としてこの世に臨(のぞ)まれ、人間をすべての抑圧から解放し、神の国(神の支配)へ招き入れる方(かた)であると宣教しています。イエスの十字架と復活が福音書では奇跡以上の重大なメシアのみ業(わざ)であるとされています。
2000年1月30日(顕現後第4主日) |
前主日に続いて福音書は<盲人の癒(いや)し>について語っています。そこで当時のユダヤ人社会での<いやし>について説明しましょう。古代イスラエルでは<いやし>は魔術や呪術、占い、易、口寄せという行為とは全く別のもので病める人々さえ清め、神の民イスラエルに復帰させることを目的としていました。魔術などは異端行為でした。 ところが福音書はイエスの<いやし>行為について頻繁に記していますし、魔術らしい<いやし>をイエスがなさったとも記しています。しかし、このイエスの時代にはラビ(ユダヤ教の教師)もそのような<いやし>の行為をしていましたので、イエスはそのために非難されたのではありません。そうではなく病人でも特に「汚れた人」とされた人々の身体に触れてイエスが<いやし>をなさったことが問題だったのです。
福音書は、また、この<いやし>をイエスがイスラエルの辺境の地、ギリシャ(ヘレニズム)の宗教の影響を受けているガリラヤの地でなさったと記し、イエスがユダヤ教の権力に対抗し、貧しい人、病める人の友として神の国の福音を宣教していることを強調しています。
さらに福音書は弟子たちがイエスを正しく理解できていなかったと述べています。「ペトロの告白」(27〜30節)はそのようなペトロを描きます。一見、正しくペトロは「あなたはメシア(キリスト)です」と答えてはいますが、彼はイエスの復活を経験するまでは、イエスを信じ従っていたとは書かれていません。むしろ福音書は絶望的なほどの弟子たちの無理解の情況を記しています。私たちも信仰を試されているように思えます。
2000年2月6日(顕現後第5主日) |
十字架の道をこれから歩もうとするイエスに金持ちの男が出会い、この二人の間に問答が始まります。「マルコ」はこれによって私たちに信仰生活の道の選択を教えます。 この裕福な男はユダヤ教の律法を日頃から順守している「正しい人」の代表です。ところが主イエスはこの男に「持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。」と答えます。そしてその結果この男は「悲しみながら立ち去った」とあります。こうして「マルコ」は律法を徹底的に順守することが極めて困難、かつ不可能、従ってこれによって「天に宝を積む」ことはできないと教えます。しかし、この男の悲しみは私たちの悲しみでもありましょう。このような難しい課題を出されれば私たちは誰一人それを満たすことはできません。
ところが「マルコ」は主イエスがこの男に全財産を貧しい人々に施すように勧め、その次に「それから、わたしに従いなさい」と言われたと記しています。しかし、これは「マルコ」が福音書を書くときに付け加えられたと考えられます。「わたしに従いなさい」は施しをなし遂げた次になすべき行為ではなく、それとは無関係に、主イエスが人々に語っておられた言葉であったと考えられます。このように理解するとき、私たちは律法順守がもたらす「悲しみ」を越えて、イエスの弟子となることができるのです。
主イエスの十字架の道を<永遠の命>への道と信じ、主イエスに従うことで、私たちは「天に富を積む」恵みが与えられるのです。
<主イエスを信じ、イエスに従って生きる>ことこそ、私たちが身につけるべき人生最大の課題であります。
2000年2月13日(顕現後第6主日) |
弟子の一人、ペトロは主イエスに「わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いました。そしてこれにならって、この言葉どおり実行した人がいます。(例えば最初の殉教者とされるステパノや13世紀のアシジのフランシスなど)しかし、このようにしなければ私たちはイエスに従うことができないのでしょうか。このように実行した人だけが神の恵みをいただくのでしょうか。そうではありません。
聖書はイエスを神のみ子と信ずるすべての人に神の罪のゆるしと永遠の命を与えて救われると教え、(ヨハネ福音書3章16〜18節ほか)また、この恵みをいただくために神に熱心に祈り求めなさいと勧めています。(ローマの信徒への手紙12章12節)これらによって私たちは信仰生活を正しく知ることができます。
考えてみますと私たちはいつまでもこの世に生きることはなく、また、この世に頼っているわけにはいきません。愛する家族や友人とも離別するときが必ずきます。こうした悲しくつらい現実がやってくることを思うとき、神が私たちに永遠を思う心、神に救いと愛を願う心を与え、その信仰の心を養い育ててくださっていることを本当に喜び感謝しなければなりません。
「私は命のパンである」(ヨハネ福音書6章48節)と言われた主イエスの養いを受けて、私たちは共に祈り、兄弟愛に励みつつ、永遠の命に生かされて神のみ国を目指して信仰の日々を過ごしましょう。
2000年2月13日(顕現後第6主日) |
「彼はそこを立ちさると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広めた」(マルコによる福音書 1:45)
祭司が重い皮膚病患者を調べて「あなたは汚れている」と宣告するユダヤ人社会で、イエスは”深く憐れんで、手を指し伸べてその人に触れ、「よろしい、清くなれ」と言われ”ました。福音書がなぜ第1章でこのような奇跡物語を記したのでしょうか。
福音書の関心は律法よりもはるかに勝る神のみ業を行うメシアとしてイエスを宣教することにありました。なお福音書は12弟子よりも先にこのいやされた男がイエスのみわざを人々に言い広めたと書いて、「汚れた人」こそイエスを宣教した重要な人物であるとします。
このように福音書を読んで私たちは、この人同様に清められ、新しい命に生きる約束をあたえられたことを神の恵みと心から感謝し、この出来事を人々に告げ広めてまいりましょう。
宣教の働きをするということはなんとなく難しい仕事だと私たちはつい考えがちですが、そうした不安を捨てて、イエスがなさったみ業を伝え、私たち自身もイエスによって救われ、清められたものであることを熱心に人々に伝えることがもっとも大切なことです。
2000年2月20日(顕現後第7主日) |
マルコ福音書が書かれた時代(70年代)のキリスト教会はユダヤ人からも異邦人からも迫害を受け、パウロ、ペトロ、またヤコブも殉教の死を遂げました。また信徒たちは終末の時の遅延に焦っていました。さらに彼らは教会内の対立に苦しみ、重税や低水準の生活を強いられていました。
福音書はイエスが弟子たちにご自身の十字架の道に従うこと、人々には仕える者であるようにと教え、また訓練しましたが、これは当時の教会の歩むべき道を示しているものでもありました。
イエスが奇跡を行ったという福音書記事は、罪を赦すイエスの権威を証明する材料として書かれたもので、イエスにあって神の力は律法よりもはるかに勝るもの、教会もこのイエスが示す神の力を確信して、新しい命に生きよと励ましています。
当時この地域一帯は悪霊祓いや病人の癒し、死者の再生などの能力を示し人々の関心を集める宗教家が多くいました。ときに福音書はイエスがその上に神の力、全能を持って弟子たちを励まし、奉仕と殉教の道、十字架の道を歩ませて終末に備え神の国の勝利を得させるメシアと宣教します。なお、私たちもいまこの神の力をいただいています。
2000年2月27日(顕現後第8主日) |
紀元前8世紀、イスラエルの預言者ホセアは背信の妻を赦し、彼女を受け入れよとの神の言葉に従いました。彼はこの苦悩の選択を経験し、背信の民イスラエルに「その日が来れば、・・・・」と語って神の裁きと救いが迫っていると告げ、彼らが出来ることはただ一つ、それは神の愛を率直に受け入れ、神のもとにかえって背信の罪の赦免を心底から求めることだと説得します。
ホセアは神がこれほどまでにイスラエルの民を愛するのは、彼らが<神に民>として選ばれ、彼らと契約を結ばれたからであると考えます。ですから神はご自身の責任において背信の民イスラエルを赦し、愛を持って改心する彼らを受け入れると説きます。
この神に応答する選択はただ一つ、それは神を信じて神に帰り、神に絶対的に従うように努めることしかありません。ホセアはこう預言して背信の民イスラエルを神のもとに帰そうと努めました。
さて、旧約聖書と新約聖書はともに<神に民>をイスラエルの民に限らず、神は背信の罪を認め、改心して神に帰ろうとするすべての人と契約を結び、彼らを<神の民>とされると語ります。なお私たちは主イエスによって<神の民>とされています。
2000年3月5日(大斎節前主日) |
師(先生)と仰ぐイエスがどんなに優れたお方であるか、メシア(救い主)が来る”主の日”に先立って再来する預言者エリア、また死なずして神のもとに移されたと伝え聞くモーセに対して自分たちの師イエスはどのような位にあるのか、こうしたことがイエスの弟子たちの関心事でした。
しかし、この弟子たちの無理解をよそに、十字架の死に向かうイエスこそ「私の愛する子」であると福音書は強調します。これはイエスが洗礼をお受けになったときの天からの神のみ声と同じ言葉です。こうして福音書は私たちにもイエスを”神の子”また”メシア”と迷わず信じ、イエスに従う人生を選択せよと迫ります。
師を選ぶことはその弟子にとって重大事であります。その選択を誤れば一生を台無しにしかねません。このような重大な選択に当たって、イエスは「わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救う」(マルコ8:35)と弟子たちを諭し、彼らの今後の人生に真実の選択を示されました。
この世の幸福をつい最も大切にして生きる私たちにも、イエスはご自分の選んだ道こそ真実であると諭されます。ここで私たちは「栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられるよう」祈りましょう。
2000年3月12日(大斎節第1主日) |
ベトナム戦争(1954−1975)に米国は大規模な軍事介入を行いましたが、その結果は失敗に終わりました。この間、7年間国防長官の任務に就いたR・s・マクナマラは近年、その回顧録を著して、自分たちが米国の信条と伝統に立って行動し、これらの価値観に基づき軍事行動を行ったにもかかわらず、我々は大変間違っていた。そこで将来の世代にこのことを説明する必要があると語って、<我々の犯した失敗>を列挙し、<愚行から何を学ぶべきか>を導き出しています。このようにしてマクナマラはベトナム人の歴史や人柄、また習慣にあまりに無知であったこと、多くの尊い人命を犠牲にしてしまったことなどを反省し、<罪はわれにあり>と告白しています。
マクナマラはこのことを信仰の問題とはしていませんが、見果てぬ夢、満たされぬ目標を持っていきる人間に、この自分の苦渋の経験を教訓として差し出しています。彼のみならず私たちは大きな失敗を犯します。それでも彼のように深く反省し、過去に学びましょう。さらに私たちは神に罪を告白し、赦しを願い「ますます清くなり、主の栄光を現すことができますように」と熱心に祈り、これを人生究極の目標としましょう。
2000年3月19日(大斎節第2主日) |
住まいは私たちの毎日の生活に大切なものです。そこで私たちは食事をし衣服を着、休息します。またここで私たちは子供を育て、老齢の親を看護し、語らいの時を持ちます。そこで、もしこうした住まいを失えば、私たちは必ず身の危険や孤独に怯え、激しい不安を感じます。ところがこの大切な住まいに私たちはいつまでも安住することは出来ません。私たちにはこうした苦悩が迫ってきます。
さて、このような私たちを神はご自身の住まいに招き入れてくださいます。詩編は「あなたのいます家、あなたの栄光の宿るところを私たちは慕います。」(第26編)と歌います。このように私たちは神の住まいに招かれ、そこに真実の安らぎを得ることが出来ます。
そこで主イエスは弟子たちに「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。・・・・こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」と語り、さらに「わたしは道であり、真理であり、命である。」と言われました。(ヨハネ福音書14:1〜7)
この神のみ住まいを私たちも心から求め、神と私たちが互いに愛し信頼しあって永遠に生きる希望をしっかりと抱きましょう。
2000年3月26日(大斎節第3主日) |
パウロはユダヤ教の律法を守ることで罪悪に挑戦しますが、この律法による自己規制の無力さに気付きました。「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」とはこのときの彼の偽らざる心境です。しかし、このとき復活の主イエスが霊的に彼に現れ罪から彼を救いました。これをパウロは神の”恵み”と言って心底から感謝し、これこそ神からの福音であるとローマの信徒たちに熱心に伝えました。罪深さに悩む者に迫ってくる神の”恵み”を彼は主イエスに見出したのです。
パウロのように主イエスによる神の”恵み”を確信すれば、私たちも大胆に罪を懺悔することが出来ます。去る3月12日バチカンの聖ペトロ大聖堂で教皇ヨハネ・パウロ・世は教会が犯した数々の罪(ユダヤ人迫害の黙認、異端審問、十字軍遠征、教会の分裂、宗教改革者の破門など)を列挙し、ミサに参列したすべての信徒たちを促してともに懺悔し神の赦しを大胆に祈り求めました。
宮清めをされた主イエスはいま罪を悔やみ、赦しと導きを祈る私たちのうちに宿り私たちを清め、私たちを清め、神のみ霊の恵みを満たしてくださいます。「力あるみ手を差し延べてすべての敵を防いでください」と私たちは心から祈りましょう。
2000年4月2日(大斎節第4主日) |
英国の詩人ウイリアム・ラングランド(1330?〜1400?)は「農耕者一ピアズ」と題し長文の詩を世に残しています。ピアズは陰者の衣を身にまとって旅立ちますが、疲れ果てて眠ってしまい夢を見ます。その夢には貧富さまざまな人物が出没し、その誰もが目先の事がらに心奪われています。
そこに一貴婦人が現れ、どうすれば魂が救われるかをピアズに教えます。「真実こそもっとも善く、また麗しいもの。愛は天来の妙薬、それを服用する者に罪の痕跡はない。愛は天に達する大門です」と。
そこでピアズは真実と虚偽の見分け方を尋ねます。貴婦人の答えは「真実、それはキリストのもとに行くこと。この真実という住まいに行くには良心の命令に従う素直な心を持つこと」でした。こう教えられたピアズは自分が所持していた贖宥券(免罪符)に書かれていた言葉に義憤を抱き、「たとえ死の陰の谷を歩んでも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしとともにおられ、あなたの鞭と杖はわたしを導く」(詩篇23編4節)と唱えます。信仰こそが魂の救いには欠かすことが出来ず、真実、つまり愛は悪魔と戦い“事終わりぬ”と絶句して死なれた主キリストにあると信じたピアズは夢から覚めて復活の主を賛美します。
2000年4月9日(大斎節第5主日) |
「今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」(ヨハネ福音書12:31−32)
初期キリスト教時代の信徒たちはキリストの来臨と最後の審判の時は間近で、この世で善行や悪行によって人は裁かれ、天国または地獄に連れて行かれると信じていました。こうした信仰によって彼らは天国へゆく準備に励みましたが、この信仰の態度は世俗の権力者であるローマ皇帝を悪の権化とし、禁欲主義や独身主義という極端な生き方が重んじられ殉教死が美化されました。
次に中世キリスト教時代になりますと聖職者、わけても修道士たちの社会が聖なる世界とされ、俗人信徒たちが聖なる人に近付くために7つのサクラメントが用意されていると考えられるようになり、洗礼、堅信、聖餐のほか告解、塗油、結婚などがこうしたサクラメントに数えられました。
しかし、本日の福音書はこうした教会の信仰思想とは違い、地上から上げられた(十字架に架けられた)イエスこそが信ずるすべての人をご自分のもとへ引き上げられ、イエスによってすべての人は聖なる人とされると教え私たちの信仰を励ましています。
2000年4月16日(復活前主日) |
主イエスの十字架の死と復活の出来事を記すマルコ福音書は西暦70年ごろに書かれ、エルサレムやシリアの教会を始めとし、マケドニヤやローマの教会でひろく読まれました。これらの教会はユダヤ教徒や異教徒たちから迫害を受け(使徒言行録17章5節、19章23節以下)、また次第にローマ皇帝の迫害にも脅かされていました。主イエスがユダヤ人や異教徒の嘲笑の的とされ、十字架刑に苦しまれた記事をこれらの教会は自分たちに襲いかかってきた迫害の苦痛と重ね合わせて苦難の意味を理解しようとしました。そして教会がこの福音書から学んだことは、主イエスが十字架の死を遂げたのは父でいます神の意志と計画に徹底的に従った結果であり、これによって主は神のご計画を完成されたと言うことでした。
このことをこの福音書はキリストの処刑に係わった異教徒のローマ百人隊長のことば「本当に、この人は神の人だった」(15節39章)によってさらに強調しています。この主イエス受難の物語を聞く当時の教会と信徒たちは厳しい迫害にも負けず、十字架の主イエスを真の救い主(キリスト)とする信仰をますます強め、主イエスを信じて生きる人生には勝利があることを確信しました。私たちもこの信仰を固めて復活日を迎えましょう。
2000年4月23日(復活日) |
「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」(マルコ福音書16章6節)
初代エルサレム教会では主イエス・キリストの復活伝承が信仰の中心的内容になっていて、使徒、わけてもペトロ、ヨハネそして主イエスの兄弟ヤコブがこの復活信仰の担い手でした。彼らは教会の「柱」「おもだった人たち」(ガリラヤの信徒たちへの手紙2章9節)と認められています。福音書は十字架に架けられたイエスを一旦は見捨てた彼らが、その後間もなくしてイエスをキリスト(救い主)と信じて宣教し始めたと記し、さらに彼らのこの転向は彼らが復活のイエスに出会ったことによると伝えています。
復活のイエス顕現の体験が彼らの生き方を転換させました。彼らはイエスに忠実な弟子として生涯を貫こうと決心したものの、この「不可能な目的を自己に課した男が支払わなければならない絶望」(グレハム・グリーン)に陥りました。しかし、その時復活のイエスが彼らに現れたのです。復活の主イエスご自身が絶望の深い淵から彼らを救出されたのです。また伝道者パウロも彼ら同様の体験を経て伝道者になりました。そして私たちにもこの復活の主イエスがご自身をいま顕現されます。ここで「コロサイの信徒への手紙」3章3〜4節を読みましょう。
「あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。」
2000年4月30日(復活節第2主日) |
「世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」(ヨハネの手紙一5:4)
人生本来の営みは幸福の追求であり、これは人を不幸に陥れ、命を脅かす力を排除することを含みます。現代人はこのために科学や技術を重視し、精神的な英知の追求とか宗教心を軽視するようになりました。そのために私たちは人生そのものを問うことを止めるようになりました。しかし、私たちはいまだ命を脅かされています。
北米大陸には白人が17世紀初めに侵入し、彼らと原住民には激しい摩擦が発生しました。このとき原住民のある種族は生活するには厳しい土地に生きることを選択し白人に良い土地を譲りました。厳しい生活環境こそ伝統的生活を守れると彼らは考えたからです。私たちの先祖たちもまた厳しい自然をそのまま受け入れ、その力を活用し極力自然に逆らわず、また神と人間、人間同士の交わりを大切にして命を共有しました。こうして宗教は彼らの命、生活の根源に深く係わるものでした。
さて、ヨハネは御父とともに「命の言(ことば)」であるイエス・キリストが現れ、わたしたちを永遠の命に生かしめるため御父と御子イエスの交わりの中に入れてくださると教えます。聖書もまた私たちを、”交わり”の恵みを宣教します。
2000年5月7日(復活節第3主日) |
ルカ福音書は復活のイエスご自身を「神の国の到来」と「神の平和の現れ」と宣教し、弟子たちをこの宣教に加わらせ、宣教する教会の基礎固めをされたと語っています。エマオで旅する人となり、また弟子たちに現れた復活のイエスは行為と言葉によってご自身を神の計画に則したメシア(キリスト)であることを彼らに悟らしめました。このように弟子たちのキリスト復活の信仰はイエスが「彼らの心の目を開」かれたことによって確実なものとなったのです。そして主イエスはいまも私たちに同じく現れ「あなたがたに平和があるように」といって神の国へと招き入れられます。
そこで私たちは”主イエス・キリストよ、おいでください””弟子たちの中に立ち、復活のみ姿を現されたように、わたしたちのうちにもお臨みください”と祈って聖餐式を始めます。さらに私たちは”キリストは死に キリストはよみがえり、キリストは再び来られます”と唱え”わたしたちがパンを裂くとき キリストの体にあずかります”と言って「パン裂き」(聖餐)に加わります。ここで私たちは弟子たちと全く同様に復活のイエスを追体験します。聖餐式とは復活のイエスの平和の宣教の場であり、その時なのです。
2000年5月14日(復活節第4主日) |
「わたしは良い羊飼いである。・・・・・わたしは羊のために命を捨てる。」(ヨハネ福音書10:11−16)ヨハネ福音書を最初に聞く教会はファリサイ派ユダヤ教会から異端とされパレスチナから追放されてパレスチナ北部、シリヤとの境界地域に創設された教会でした。
このファリサイ派は、神を知ることができるのは律法の書(トーラ)に書かれた神の言葉を通してであると信じ、イエスを通して神を知り、神と交わりに入ることができると信じる教会を批判してパレスチナから追放しました。こうしてファリサイ派は90年代にユダヤ教の主流となりヨハネの教会をも迫害していたのです。
ヨハネ福音書の記者はこの教会共同体の指導者として共同体をこの迫害から守ろうとし、旧約のエゼキエル書の預言に基づき、イエスこそが迫害に苦しむこの共同体を守り、これに命を与えるメシアと宣教しました。「わたしは良い羊飼いである」とはこうした迫害に対決して信仰に生きる教会共同体に勇気と喜びを与える力強いイエスのみ言葉として語られました。
福音書はいつの時代にも世の不安のただ中にさらされ、また迫害に苦闘している教会や信徒の共同体を守り抜く「良い羊飼い」である主イエスを宣教しています。
2000年5月21日(復活節第5主日) |
西ヨーロッパの諸都市に居住していたユダヤ人は11世紀から20世紀にかけて指定の居住区域(ゲットー)に移住させられました。
これは十字軍、ルネッサンスとか宗教改革運動に煽られた民衆がユダヤ人を<供血のための殺人者>とか、<聖餐のパンを冒涜する者>と罵って排斥したことに始まります。さらに今世紀第二次世界大戦時、ナチス・ドイツによってユダヤ人は強制収容所に連行され、約500万人が殺害されました。このような苦渋の時代を耐え抜いたユダヤ人を励ましたのは彼らが語り継いだ聖書(律法の書、トーラ)の言葉とその信仰でした。申命記4章でモーセは<神は先祖イスラエル民族を選び嗣業の地を与え、さらに永遠の栄光を約束され、掟と戒めを守られた>と語りますが、ユダヤ人は今も親から子へとこの言葉を語り継ぎ、モーセの教えに従って掟と戒めを守るよう子らを厳しく教育しています。
キリスト教徒もユダヤ人迫害に準ずる虐待を経験し、今世紀にはナチス・ドイツの支配下で700万人もの人々が殺害されました。私たちはこの悲惨な歴史に学び「永遠に至る道を絶えず進むことができますように」と祈りつつ、聖書の福音を子らに熱心に語り継ぎ信仰生活に励みましょう。
2000年5月28日(復活節第6主日) |
本主日は武藤主教が来訪されました。
以下は野々目先生による解説です。
教区と教会について
「日本聖公会法憲」第1条は「日本聖公会は主教の司牧する若千の教区より成る管区である。教区は司祭の司牧する若千の教会を包括する・・・・・」と定め、また主教が教会に派遺する司祭は信徒とともに定時に公祷,聖奠や諸式を執行すると規定しています。こうして私たちの教会は京都教区に包括され教区主教の司牧下にありますが、教区には42の教会と2つの伝道所があり、教区主教がここに約40名の司祭、執事を派遣しています。またこれらの教会には約3600名(内現在受聖餐者約2000名)の信徒がいます。
さて教区主教の職務の中心は使徒の模範に従ってキリストの復活を宜言し福昔を説くこと、また教会の信仰の一致と規律を擁護するため主イエスが定めだ聖奠を司式することです。このように主教は私たちの信仰生活の規範として、古来大へん尊重されてきました。これら主教の職務については祈祷書434頁に記されています。武藤主教様が本日私たちの教会を巡視されている意義はここにあります・なお堅信式の執行はこうした主教の職務の一つであります。当教会の受洗者30名(壮年12名、幼少年18名)が各自の信仰を実らせて堅信の恵みをいただくときが来ることを祈りましょう。