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2000年6月4日(復活節第7主日(昇天後主日))
「わたしを世にお遺わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです」(ヨハネによる福音書17:18−19)

 ヨハネ福音書が最初に読まれた年代は1世紀末ごろ、その場所はガリラヤ北方の地、シリヤとの境界周辺の教会とされています。この教会(信仰の共同体)は政治的理由でローマ皇帝によってエルサレムを追われたユダヤ教徒と同じ運命を辿りつつ、さらにユダヤ教会からも排斥されていました。そのときこの教会は死の直前のイエスの祈り(ヨハネ福音書17章)を彼らのための祈りでもあると実感し、祈るイエスによって信仰の慰めと力づけを得ました。こうして60年前,十字架の死を直前にしたイエスの《いま》と教会の《いま》とが重なり合い,これによって主の共同体がそこに存在したのです。

 聖餐式の初め、私たちは「主イエス・キリストよ,おいでください」、「・・・・・・わたしたちのうちにもお臨みください」と力強く唱えます。ここにも神が世に遣わされたイエスと私たちとの交わりの《いま》が成立し,私たちは《世に遺わされた者》として同じ共同体を形成し、この世に向かって神の栄光を示す器となります。


2000年6月11日(聖霊降臨日)
「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあながたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。」(ヨハネ福音書14:16−17)

 生前のイエスに代わって「別の弁護者」が弟子たちに遣わされるとヨハネ福音書は語ります。ヨハネはこの「弁護者」を「霊」まは「真理の霊」とも言って、十字架で完成したイエスの働きを別の仕方で継続し、艱難に苦しんでいた弟子たちの心を照らし、不信仰の「世」の罪を告発し,弟子たちを「導いて真理をことごとく悟らせ」イエスに「栄光を与える」(ヨハネ16:13−14)と説きます。

 またこの福音を聞くヨハネの教会は時代を約60年後にするにもかかわらず、弟子たちに働いたこの「弁護者」が彼らにも同じように働いていると信じています。

 ときに使徒言行録はこの「霊」すなわち聖霊の降臨を劇的に記して、これを復活の主イエスの約束の成就、また弟子たちの世界宣教の原動力であると主張します。

 私たちも弟子たちの復活信仰を継承し、世界に向けてイエスの救いを宣教しましょう。このとき私たちは弟子たちやヨハネの教会と同じく「弁護者」でいます聖霊の働きをいただき、世の人々に与えられる永遠の命、栄光の道に導き入れられます。


2000年6月18日(三位一体主日(聖霊降臨後第1主日))
イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(ヨハネ3一3)

 ヨハネ福音書は最高法院の議員でファリサイ派のニコデモを登場させ、聞く人々の入信の手引きとしています。彼はおそらくイエスに神の国を見せて欲しいと願ったのでしょう。これに対してイエスは上記のように答えられました。

 しかしニコデモはこれを「この世での人生のやり直し」と早とちりして、それは到底不可能なことと言い返します。イエスの言う「新たに」とは「上からの力によって」という意味でしたのに。さらにイエスは「新たに生まれる」とは「霊から生まれる」こと、またこの霊は風のよう、その音は聞こえても、その風の行方を察することはできないと説明されます。イエスはこのようにニコデモに神の霊による新生を勧めたのです。

 その後ニコデモはイエスの逮捕に失敗した議会でイエスを弁護したり、イエスの墓に香料を備えて埋葬に参加しました。こうして二コデモは「自分のためのイエス」を求めることを止め、一転して「イエスのために生きる自分」ヘと信仰を成熟させました。

 若くして不治の病の床に臥した青年ヤコブ和泉谷豊三郎さんもこのイエスの福音を受け入れて新たに生まれ、友人を伝道しました。


2000年6月25日(聖霊降臨後第2主日)

(コリントの信徒への手紙2 5章より)

 罪からの救いは「すべて神から出ること」であって、これは私たちがキリストと結ばれ、新しく創造された者となることによって実現されるとパウロは宣教し、この神の救い(和解)によって「新しく創造された者」としていただくようにと私たちに勧めます。

 「キリストと結ばれる」(17節)とは"en Christ"(エンクリスト)、すなわち"キリストにあって"という意味です。パウロはキリストによって新たに生きる者となった人々や教会は死と復活、さらに昇天(高挙)を遂げたキリストの体に結ばれ、アダムに代わる新しい人に創造されていると言います。

 またパウロはキリストのこの創造を神がなさった和解の働きであるとし、さらに使徒たちはこの「和解のために奉仕する任務」を授かっている者と説きます。「使徒たちからの」教会もこの和解が行われるところであります。

 私たちはこう願いましょう、「もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きる」(5章15節)者であり続けたいと。また私たちの教会が"キリストにあって、キリストの和解の働きをいっそう活発に行うものでありつづけ、私たちがこの働きに熱心に参加しますようにと。


2000年7月2日(聖霊降臨後第3主日)

 1998年のランベス会議で南アフリカ大主教は貧しい国々の膨大な経済上の負債が免除されるように、会議が働きかける必要を訴えました。日本聖公会も〈国際債務帳消しキャンペーン、ジュビリ−2000〉を起して活動しつつあります。巨額の負債は人間を依存的貧困という監獄に閉じ込め、彼らの人権は無視されがちです。こうしだ情況はいま世界規模に蔓延しています。このような悲惨な事態から人間は是非とも救出されなければなりません。

 本主日の旧約日課である申命記15章には「7年目の隣人に対する負債免除」の規定があります。これは7年目ごとに農地を休ませる規定に起源がありますが、レビ記その他ではこれを「50年目のゆるし」と改め、この年を〈ヨベルの年〉と呼んでいます。この年には農地の返却、債務の免除それに債務奴隷の解放がなされます。もっともこれを立証する史料がまだ出てきませんが、これは「主のための安息を土地に与える」ことに最大の意義がありました。そこで私たちも「すべてのものは主の賜物・わたしたちは主から受けて主に献げたのです」(歴代上29:14)と奉献でとなえます。債務免除キャンペ‐ンに参加するときにもこの気持ちを大切にしましょう。


2000年7月9日(聖霊降臨後第4主日)

「わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。・・・恥知らずで、強情な人々のもとに、わたしはあなたを遣わす。(エゼキエル書2章)

 エゼキエルはバビロニア王に捕らわれバビロンに拘留されたイスラエル人の一人ですが、神によって預言者として召された人です(BC593)。小国イスラエルが生き残る道はただ一つ、強国の王に服従して貢物を納めたり、その国の宗教を受容して属国に甘んじることでした。エゼキエルは預言者エレミヤと同様、この現実を神に反逆の罪の裁きであり、強国は民イスラエルを裁くために神によって用いられた道具であると言います。捕囚の民イスラエル人は強制労働に駆り出されましたが、集団で暮らし、農作物を作り、それを売買したり、結婚も認められました。やがて彼らはそうした暮らしに馴染んで彼らの先祖の代から礼拝してきた神を無視し始めました。

 エゼキエルは異国の暮らしに満足している彼らに神の言葉を語るべく神から召されました。この預言活動は危険と困難なもの、この地に暮らすイスラエル人は「恥知らずで強情な人々」、「蝎」(さそり)のようにエゼキエルを迫害する「反逆の民」でした。しかしエゼキエルは神の霊に生かされ「自分の足で立つ」者として彼らに立ち向かいました。この神の霊は私たちをも自分の足で立たせる力です。


2000年7月16日(聖霊降臨後第5主日)

「12人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗つて多くの病人をいやした。」マルコ福音書6章12−18節

 この12人はイエスが呼び寄せられた「これと思う人々」、また「自分のそぱに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるため」に任命されたイエスの弟子たちです。(マルコ3:13、14)彼らはイエスと一緒に食事し、群衆に囲まれ、イエスの郷里を訪ね、ときに寂しい場所に退いたり、ガリラヤ地方を旅し、またエルサレムに上りました。彼らは群衆に語られる神の国の福音をイエスから常に聞いていました。しかし、福音書は彼らが師イエスに無理解、不信仰な態度である、と次のように記しています。

「聞く耳のある者は聞きなさい」(4:15)
「自分の十宇架を背負って、わだしに従いなさい」(8:34)
「目を覚まして祈っていなさい」(14:38)

 彼らに対するイエスのこれら厳しい言葉は、そっくり当時の教会にも語られているのでした。

 でも宣教の旅から帰ってきた弟子たちが「イエスのところに集まってきて、自分たちが行リたことや教えたことを残らず報告した」(8:30))ところ、イエスは「しばらく休むがよい(8:31)と彼らをやさしく慰めました。

 なおこれらは復活前のイエスとその弟子たちのことで、宣教の内容はまだ整っていません。しかしこうした経験が弟子たちのイエス復活後の宣教に活かされます。


2000年7月23日(聖霊降臨後第6主日)

「キリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、(16)十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」エフェソの信徒への手紙2章15、16節

 敵対関係にある当事者双方が互いに譲歩しあって争いを止める約束をすることを「和解」といいますが、パウロはこのことがキリストの十字架の死によって神と人間の間に実現したと説きます。ここに神の正義と平和が、また神の愛の極致があります。神と人間との「和解」はキリストの十字架の死という犠牲がなけれぱ実現不可能なことです。私たちはこのキリストの十字架を真実の福音と信じ、これによって互いに神の家族となるのです。

 国の内外でいまモラル・ハザード(倫理の欠如)が危惧されています。この言葉は本来「精神的な危険、退廃」を意味しますが,これが蔓延すると人間社会は著しく衰退し内部崩壊が生じます。これを発生させないためには厳重な警戒が必要です。これは私たちの信仰においても同様です。キリストの十字架による「和解」に代わる安易な和解は偽りの和解です。それは私たちをモラル・ハザードに陥れます。”すぺての罪深い思いと言葉と行いを退ける”ため”キリストを主と信じて従い、生涯その模範にならう”(祈祷書278頁)ことこそ私たちの日常の課題です。


2000年7月30日(聖霊降臨後第7主日)

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」 マルコ福音書6:50

 福音書はここで湖上を歩くイエスを〈神的威力を現すお方〉、また逆風から弟子を救出するイエスを〈波風をも支配するお方〉と記します。こうして福音書は「天を広げ、海の高波を踏み砕く」(旧約聖書ヨブ記9:8)神ヤハウェの働きをイエスに認め、イエスは救い主であると宣教します。「わたしだ」とは神がご自身を示す聖書特有の表現です。こうして福音書は地中海世界に共通する神々を否定し、唯一の神ヤハウェの救いが、いまイエスにあって完成されたと宣教します。

 さて,紀州の町々村々でのキリスト教伝道は1880年代に開始され、私たちの聖公会和歌山伝道区には現在11の教会や伝道所があります。その伝道の内容は上記の福音書が語る主イエスの救いに他ならず,神道や仏教とは全く異なったものですから人々の妨害も当然覚悟の上のことでした。

 「安心しなさい。わたしだ。」とは「わたしだよ。わたしを信頼し、勇気を出しなさい。」という意味です。無理解,不信仰だった弟子たちを勇気づけ、彼らを宣教の旅に派遣したのはイエスご自身でした。その主イエスがいま私たちをも励まし、「わたしだ。」と言っておられるのです。


2000年8月6日(主イエス変容の日)

「見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。」(ルカによる福音書 9章30−31節)

 福音書9章全体ではイエスが12人の弟子を神の国の宣教と病人をいやすために遣わし、ご自身でもこれを実行して「五つのパンの増加」によって神の国の出現を示されます。さらにイエスは「ひとりで祈ったのち、弟子たちにご自分の死と復活を予告されます。その後にイエスは山上で変容されます。福音書はこれをイエスの死の旅立ち(最期)を語るものとし、またこれをもってモーセやエリヤの再来ではなく、神が「これはわたしの子、選ぱれた者、これに聞け」と弟子たちに語るメシア(救い主〉の出現と宣教します。このようにルカ福音書全体は救い主イエスを周到に宣教します。ここで私たちは同福音書22章を9章と対比させて読んでみましょう。私たちは福音書をこのように読み直して、ルカ福音書が宣教してやまない救い主イエスをより明確に知って信仰の心をゆたかに養いましょう。

 「ひどく眠かったが、じっとこらえている」(32節)弟子たちとは私たちの有り様を教えているように思えます。世の煩いと苦しみに耐え、細心の信仰心を持って生きるとき私だちは救いを得ます。


2000年8月13日(聖霊降臨後第9主日)

「あなたは食べて満足し、良い土地を与えてくださったことを思って、あなたの神、主をたたえなさい。」(申命記8章10節)

 人は自分にまつわる出来事を記念し、それを想い起こします。「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。」(申命記8章2節) の言葉はまさにこの類のものですが、これが次第に出来事に意味を与え、これに 意味付けをしてイスラエルの人々を神の支配する信仰の共同体へと変化させま す。こうして旧約聖書と新約聖書はともに私たちを「神の家族」という共同体へ と変えつつ、終末の時を待望し、それに備えるものへと導きます。

 「コリントの信徒への手紙I」7章26ー40節でもパウロは信徒たちをこのように導きますが、本日の使徒書(エフェソの信徒への手紙4章)で、パウロは信 仰の共同体である教会が「神に愛されている子供」に相応しく、神が定める救い の「時」に生きるに相応しい状態を整えるように勧めます。

 先日、あるテレビ番組は停年後ボランティア活動に残る人生を献げる人々を紹介しました。この人々はこれまでの人生を再活用し、またそれを完結するぺくボラ ンティアの道を選ぴ、そのうちのある人々は異国で事故死の最後を遂げました。 過去を活用しつつ、新しい人生を選択すること、これは信仰生活にも言い得るこ とです。


2000年8月20日(聖霊降臨後第10主日)

「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。」(ヨハネ福音書6:55)

 ガリラヤ湖畔で多くの群衆に食べ物を与えたイエス、彼になおも「しるし」を求め続けてやまないその群衆、またこの情景に強い関心を抱いて論争しあっている ユダヤ人、こうした構図のなかでヨハネはイエスの福音を宣教します。

 ユダヤ教の伝承はモーセを先祖イスラエルの民が放浪の旅で激しい飢えにあったとき、天から「マンナ」を降らせた偉大な預言者また指導者としていました。こ れに対しヨハネは「人の子」イエス(6:27、53、62)こそが「天から降 ってきた生きたパン」(6:5l)であると宣教し、イエスの福音がユダヤ教の 伝承にとって代わり、いま新しい時代が到来したと告げます。

 ヨハネは彼が監督する教会(ヨハネ共同体)をカファルナウムの会堂(ユダヤ数会)と対比させ、このヨハネ福音書を「聖餐の式」を行うなかで読み、教会の信 仰を導きました。こうしてヨハネの教会はイエスを「霊であり、命である」 (6:63)、「まことの食べ物、まことの飲み物」(6:55)としていただ き、「神の国」を目指す「神の家族」(エフェソ2:19)に成長していきま す。

 私たちの教会もこのヨハネの教会を継ぐ「天の全会衆」、「神の家族」、イエスのみ言葉で養われて成長する共同体であります。


2000年8月27日(聖霊降臨後第11主日)

「命を与えるのは"霊"である。」(ヨハネによる福音書6書63節)

 教会は「主の助け」によって清め守られ、主の恵みと力によってのみ常に堅く守られます。(本日の特祷参照)この「主の助け」とは主なる神がイエス・キリストによってなされる救いの働きのことです。

 イエスは「わたしは命のパンである」(6:35)、また「わたしは天から降ってきたパンである」(6:41)と言われました。ところが弟子たちの多くはイエスのこれらの言葉にあきれ憤慨し、イエスから離れ去ってしまいました。それは彼らが「肉」のイエス、地上のイエスを見ているからであるとヨハネは批判し、霊また命であるイエスの言葉によって、この「つまずき」を乗り越え、真のメシア・イエスを信ぜよと宣教します。神の霊によって罪が清められ、神の恵みと力によって堅く守られる私たちは「聖霊が宿ってくださる神殿」(Iコリント6:19)であるともパウロは言います。

 「エフェソの信徒への手紙」は夫婦は互いに愛し仕え合って「キリストの体の一部」(5:30)となって生きるようにと勧めます。イエス・キリストに倣い、「キリストに対する畏れ」(5:21)をもって互いに仕えるところに「神の家族」(同書2:19))が築かれ、神の栄光がここに現されます。(Iコリント6:20)

 私たちの教会もこのヨハネの教会を継ぐ「天の全会衆」、「神の家族」、イエスのみ言葉で養われて成長する共同体であります。


2000年9月3日(聖霊降臨後第12主日)

「イスラエルよ。今、わたしが教える掟と法を忠実に行いなさい。」(申命記4章1節)

 上の言葉はモーセがイスラエルの共同体に語った勧めの語りだしで、「イスラエルよ,掟と法に耳を傾けよ。」というのが原文に近い意味です。ここで申命記はイスラエルの先祖がモアブに寄留していたとき、バアル・ペオル神の祭りに誘われて神々を拝んで、神ヤハウェを裏切ったために神が彼らを裁き滅ぼしたことを例示し、掟と法を守って真の神ヤハウェを徹底的に信頼し神の裁きを免れて生きよと勧めています(参照 民数記25章)。

 さて、このモーセの勧めに対してイエスは弟子たちに「最も重要な掟」(マルコ12:28−34、マタイ22:34−40、ルカ10:25−28)を示します。これはモーセの勧めからの引用(申命記6:4−5、レビ記19:18)で、イエスは「あなたの神である主を愛しなさい」と勧め、次に「隣人を自分のように愛しなさい」と教えました。この簡潔明瞭なイエスの教えを実行するに際し、パウロは信仰を「神の武具」として身に着け、熱心に祈って"霊"の助けを得、イエスの福音を人々に告げよと勧めます。(エフェソ6章)このとき私たちは「ただひたすら注意してあなた自身に十分気をつけ、目で見たことを忘れず、生涯心から離すことなく、子や孫たちにも語り伝えなさい。」との勧めも実行しましょう。


2000年9月10日(聖霊降臨後第13主日)

心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。・・・・・・」(イザヤ35:4)

 私たちは不誠実に祈っていないでしょうか。これといった不満はないが、もっと幸福になりたいといった程度の心でする祈りは"義に飢え渇く"(マタイ5:6)者の切実な祈りとは言えません。

 イザヤ書35章は「人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る」、また『主の栄光の回復』のときが来ると預言し、人に生きる希望を与え勇気づけます。この宣告を聞いて歓喜し、苦難に耐えつつ生きる勇気を取り戻す人は、自分の力や自分の"義"を信頼し、なお少し足りないものだけを神に願うようなわがままな祈りをしません。

 私たちは命をくださつている神を心から信頼し、その栄光を賛美して日々を生きるよう心がけなければなりません。リヨンの主教イレニウス(A.D.135−200)は「人は神の栄光を輝かせて生きるもの」(Gloria Dei Vivens home)であると諭しています。

 自分の存在そのものに不安を抱く私たちです。自分の無力さを素直に認め、それでも、なお自分が神の栄光を輝かす貴い器として創造されていることを感謝しつつ、「良い贈り物、完全な賜物」である"イエス・キリヌト"をいただいて「新しい人」となってこそ私たちは神に誠実な人となります。


2000年9月17日(聖霊降臨後第14主日)

「神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさった」(ヤコブの手紙2章5節)

 教会は神の招きを感謝して受け入れた者の集いですから、信徒各自の信仰の有無、また信仰者としての日常が問われることは当然です。使徒パウロが"信仰のみ"を強調したことに対して、ヤコブの手紙は「行いが伴わない信仰」はありえず、したがってイエスを信じながら人を分け隔てすることがあってはならないと主張します。しかし、残念ながらこうした「分け隔て」が発生していたので、パウロもまたこの「ヤコブの手紙」も信仰生活は常にキリストの福音に立脚せよと厳しく諭します。

 中世ヨーロッパ社会には"病人看護の兄弟団"とか"貧しい旅人のための兄弟団"が起こって、病人や貧民、また異国の貧しい旅人の救済に励み、さらに貧しい旅人の死を見取り、手厚く埋葬しました。これら兄弟団の仲間はこのような善行に励むことで、自分たちの霊魂の救いをいっそう確かなものとしようと心がけたのです。なんとなくこうした行いは純粋でないようにも感じますが、心情的には理解できますし、むしろ自然のように思えます。信仰が他人への思いやりとなって働くとき、これによって私たちも神の僕(しもべ)として恵みを得、祝福されます。


2000年9月24日(聖霊降臨後第15主日)

「ねたみや利己心のあるところには、混乱や悪い行いがある・・・・・・」(ヤコブの手紙8章16節)

 人が集まるところには支配者と被支配者、力の強い者と力の弱い者といった身分の違いや階級が発生します。古代ローマでは紀元前6世紀にすでに貴族と平民、それに奴隷という身分がありました。こうして身分制度は時代とともにより複雑に発達しています。しかし次第に経済力を培ってきた商人たちが土地所有者や権力者に抵抗し、ときには妥協しながら彼ら独自の生活領域を確立し始め、都市を形成して従来の身分や階級を崩していきました。西欧ではこれが12、3世紀に起こり、専ら経済活動によって都市に新しい人間関係によって”市民”階層が発生しました。彼らは町の外郭を張り巡らす壁を築き、外敵から自分たちを防御する一方、彼ら自身の生活規範や規則を定めてこれを守って平和な町造りに努めました。ここでは各自の「私」を尊重し、このために「公」の精神、つまり公共心を尊び、社会生活のルールを守る責任を自らに課しました。利己心とは「自分の楽しみのために欲しいものはなんでも手に入れる」欲望で、市民生活の平和を乱す元凶です。「ヤコブの手紙」はこれを”神の民”という信仰共同体にも当てはめキリストの平和を維持する責任の大切さを教えます。


2000年10月1日(聖霊降臨後第16主日)

「あなたは、なぜ、僕を苦しめられるのですか。なぜわたしはあなたの恵みを得ることなく、この民すべてを重荷として負わされねばならないのですか。」(民数記 11章11節)

 本日の旧約聖書日課はパレスチナの荒野を彷い先住民との争い、飢えと渇きに苦闘するイスフエルの民の不満、また彼らの指導者モーセの苦慮、そして彼らに対する神の応答について記します。

 この彼らの長旅について聖書は「イスラエルの人々は主の命令によって旅立ち、主の命令によって宿営した。」(民数記9:18)と記しますが、先祖アブラハムの地、乳と密が流れる地(同書14:8)に到達するのには40年の歳月が経過しました。この間、彼らは生死の域をさまよい、モーセに不信感を募らせて反抗的な態度を示します。このとき、神は彼らを厳しく罰し火で焼き滅ほそうとまでされます。モーセはその都度、神と彼らの間に立って苦しみますが、ただ熱心に神に救いを求め続けます。冒頭に掲げた言葉はこうしたときの神に対するモーセの訴えです。彼らはついに先祖の地に到達しますが、モーセはその地に足を踏み入れることなくモアブの地ピスカの峰でその地を見下ろして息絶えます。

 ところで新約聖書はイエスをモーセよりはるかにまさる神と人々との中保者、また地上のすべての人の救い主であると宣教します。


2000年10月8日(聖霊降臨後第17主日)

「イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。」(へブライ人への手紙2章17節)

 イエスは離縁について教えておられますが(マルコ福音書10:2−9)、これでもって福音書のイエスは離縁とか離婚を禁止していると早とちりしてはいけません。預言者モーセか、イエスか、すなわち律法か、それとも福音か、どちらが人を救うのかという大事な問題を福音書はここで論じているのですから。

 福音書は一貫してモーセの時代がイエスの時代に取って代わり、いまはイエスによって「神の国」が始まった。いまはイエスの救いがすべての人の福音となる「新しいとき」となったと宣教します。こうして福音書は「神の国」は神のみ心によって始まり、この神のみ心はイエスのみ言葉とみ業のうちにあると宣告します。それで私たちはモーセすなわち律法の支配から解放され、イヱスの福音、その恵みによって新しく生まれることが出来るのです。

 ポール・トウルニエ(スイス)は妻の病は自分の方に問題がありはしないかと思い、神のみ前で黙想し始め、妻もこれに加わりました。この神と自分たちの《3人の共同の時間》(トゥルニ工)が《新しい関係》を創造しました。ここに「新しいとき」も始まったのです。


2000年10月15日(聖霊降臨後第18主日)

「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。・・・・・」「人間にできることではないが、神にはできる。・・・・・」(マルコ福音書10章24、27節)

 「永遠の命を受け継ぐ」ため、また「神の国に入る」ためには財産を放棄したり、イエスに従うだけではまだ不十分であると福音書は語ります。それで十分だとすれば金持ちの人やイエスの側近の弟子たちは有利となります。イエスはこうした人たちの優位な条件こそがむしろ人々を神の救いから遠ざけていると警告します。

 弟子たちは「それではだれが救われるのか」と戸惑います。このときイエスは「わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、・・・・・後の世では永遠の命を受ける」(同29、30節)と言い,救いは人間にできることではなく、神にできることと教えます。

 福音書はここで、財産を放棄しイエスに従う行為がよい結果を産むのではなく、イエスの十字架と復活という神の業こそが、人間に永遠の命を受け継がせ、神の国にその人を受け入れるのであると宣教します。

 なんとかして私たちを救おうとされるイエスの慈しみ(同21節)を無視してはなりません。イエスの十字架と復活こそが私たち人間に永遠の命を受け継がせ、私たちを神の国に受け入れる福音ですから。


2000年10月22日(聖霊降臨後第19主日)

 「イザヤ書」はイザヤの預言だけを集めた部分(1−39章)のほか、主に別の二人の預言集(40−55章、56−66章)によって構成されています。本日は預言者イザヤの活動より学びます。

 イザヤ(「ヤハゥエは救い」の意味)はユダ王国ウジヤ王逝去の年(BC736年頃)、神の顕現によって罪の自覚と赦しを体験し、預言者として派遣されます。当時、王国は隆盛期にありましたが、退廃と不信仰が蔓延,また外敵(アッシリア,シリア,エフラエム〉の難に襲われます。そこでユダ王国アハブ王やヒゼキア王は平和の維持のため、ときにアッシリアやエジブトの王に助けを求めます。こうした王の政策をイザヤは厳しく批判しますが、それは彼がただ政治的に非同盟、中立を立場だったためではなく、神の意思を洞察し「ヤハゥエこそがその民イスラエルの救い」との信仰の確立を、彼が自らの使命と強く自覚していたからです。

 イザヤの預言には民の頑迷を促す言葉でもって救いの大切さを逆説的にも説得します,(6章9、10節)イザヤは目先の平和の維持のために彼の預言を軽視する王たちに絶望しつつ死のときを迎えます。

 真実の平和は神によって実現されます。イザヤの預言から神との平和の大切さを学びましよう。


2000年10月29日(聖霊降臨後第20主日)

求めよ、ヤハウェを、
彼が見いだされ得る聞に。
彼を呼べ、彼が近くにいる間に、
・・・・・・・・
立ち帰るがよい、
ヤハウェに。(イザヤ書55章6−7節)

 預言者はイスラエルの民に神のみ心を伝達する優れた指導者ですが、彼らは民の中に生き、彼らと同じく、いや彼ら以上に苦しみ悩みます。第ニイザヤと呼ばれる預言者(イザヤ書40−55章)もパレスチナを制覇していた新バビロニヤ帝国に代わって覇権を握ったペルシャの国王クロスが出現した紀元前6世紀に活躍した人です。

 彼は激しい時の流れに翻弄されていたイスラエルの民の惨状にあって神ヤハウェのみ心を探り知ろうと真剣でした。バビロンに捕らわれていた民の帰還を許し神殿再建を支援したクロスにヤハウェの救済の兆しを預言した彼ですが、後になってクロスに失望し預言活動は挫折し、しばし沈黙と内省の時を持ちます。そして神の救済を政治の次元で期待するのは誤りだと気付き、民の苦難を負いつつヤハウェの救済を完成すべく自ら贖罪の犠牲死を遂げるメシア(救い主)の出現を待望しました。4つの『僕の詩』(42章1−4、49章1−6、50章4−9、52章13−53章12)こそ、彼が晩年に遺したメシア待望の信仰です。


2000年11月5日(聖霊降臨後第21主日)

「われらが待ち望んだのは、光だつたのに、見よ、闇、輝きだつたのに、暗黒の中をわれらは歩む。」訳・関根清三(イザヤ書59章9節)

 苦境から這い上がる機会を掴んでもそれは束の間,また新たな苦難が待ち受けている、ここに人生苦があります。紀元前6世紀バビロニヤから帰還したイスラエルの民はエルサレムの神殿再建の完成(紀元前515年)を喜んだものの、彼らの生活は逼迫し、サマリヤ人の妨害にも悩まされ続けました。彼らは光ではなく闇の中を歩む思いでした。預言者もまた嘆きました。

 「このようなことなのに、あなたは自らを抑えるのですか、ヤハウェよ、黙って、われらをこんなにまで苦しめられるのですか。」(同書64章11節)と。

 でも彼は隠れた神に熱心に祈りました。(同書 63章17節)

 「なにゆえあなたは、ヤハウェよ。
 われらをあなたの道から迷い出させ、
 われらの心を頑なにして、あなたへの畏れから引き離すのですか。
 帰ってきてください。
 あなたの僕たち、あなたの譲りの地の諸部族のために。」

 この預言者は民の指導者エズラやネヘミヤの信仰の改草と時を同じくしてヤハウェの救済は「魂のへりくだった人」(同書 57章14、15節)に臨むと説いて帰還の者に心砕かれたへりくだった信仰に生きよと決断を迫ります。イザヤ書56−66章は預言者イザヤや第2イザヤの預言に続いてこのように預言して、私たちの信仰を導きます。


2000年11月12日(聖霊降臨後第22主日)

「彼ら(律法学者)は、・・・・やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。・・・・この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。」(マルコ福音書12:40、43)

 イエスが律法学者を貧しい女と比較して批判するという福音書記事は西暦70年代のガリラヤ地域のキリスト教会でまず読まれました。当時ユダヤ教はローマ帝国の支配下でも会堂での礼拝が許されていて律法の教師たちが権力を振るっていました。一方、キリスト教会は彼らの批判の的でしたし貧困者も数多くいました。なお当時ユダヤ人の多くは耕す土地を所有しない小作人であり、しかも重税を課せられて困窮生活に苦しんでいました。彼らの中には職を求めてエルサレムに上った者もいました。さらにエルサレムの教会は皇帝による迫害の危険にさらされていました。このような厳しい状況下、この福音書が読まれていたのです。イエスの弟子つまり使徒たちはイエスのみ言葉に従って「やもめの家を食い者にする」ことを厳に慎み、福音の恵みを貧しい人々に伝えながら、共に神の国の永遠の栄光に与かろうと励ましました。そこで私たちも「この世の変動の中においても、常にみ国の到来とみ心の成就を望み、確かな信仰をもってひたすら主に仕えさせてください」と祈りましょう。


2000年11月19日(聖霊降臨後第23主日)

 旧・新約聖書には世界の終末時の神のみ業を象徴や幻によって啓示する文学表現があり、これを黙示文学と言います。この黙示を語る者は目前に迫る神の最後の審判と救いの完成が現実になる終末の日を待望し、人々にその時の急変を告知します。ところがユダヤ教のラビ(律法教師)は黙示が語る終末の日とはエルサレムの神殿とユダヤ国家の崩壊、その次に起こるメシアの到来による神とイスラエルの民との間の契約の成立の時のことだと教えていました。

 一方、マルコ福音書13章の黙示はメシアをイエスと認め、この出来事にユダヤ一選民に限らず諸国民、諸民族を含む神の審判と救い、そして恵みの時と告知します。またこの福音書を受け取った70年代のパレスチナの教会はエルサレムの神殿の崩壊、戦争や地震また飢餓などの諸艱難をイエスによる終末の時の救いの前兆と理解して熱狂的信仰に燃えていました。「まだ世の終わりではない。」(7節)「これらは産みの苦しみの始まりである。」(8節)と述べ、<偽メシア>(偽預言者)に惑わされないよう「だから、あなたがたは気をつけていなさい。一切の事を前もって言っておく。」(23節)とのイエスの言葉をもって教会に警告しているのです。私たちも≪終末の時≫を正しく信じ、これを恵みの時として待望しましょう。


2000年11月26日(降臨節前主日)

「わたしは知恵を深めてこの地上に起こることを見極めようと心を尽くし、昼も夜も眠らずに努め、神のすべての業を観察した。まことに、太陽の下に起こるすべてのことを悟ることは、人間にはできない。・・・・」(コヘレトの言葉 8章16、17節)

 人生の意義を懐疑的、また厭世的に問い続けながらも満足な答えを見いだせない悩める魂の遍歴の書「コヘレトの言葉」は、知恵も富や権力も神の業に対して完全に無力であり、「神の御業を見よ。神が曲げたものを、誰が直しえようか。」(同書7章13節)と言って全てが神の手の中にあるとの結論に到達します。しかし、神から「永遠を思う心」(同書3章10節)を与えられていながら、人間には神の業を見極めることが許されていない。これほど絶望的な悩みに苦しみながら、この著者はイスラエル民族に見る神中心の信仰に解決の道を求めます。

 先日、夕刊のコラムがIT(情報技術)の功罪を論じ、それが人間をテクノ依存症に陥らせる危険があると警告していました。電子メールでの頻繁な交信で職場を解雇された青年、コンピュータを離れると不安で仕方がない人、他人と人格的な関係を持つことが出来ない人などは、懐疑的にも、また厭世的、否定的にも悩むといった人生ではなく、仮想現実に填まって生きていくのでしょう。

 この人たちにもコヘレトの言葉は人生の大切さを教えます。