野々目晃三先生は2018年9月19日逝去されました。

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2000年12月3日(降臨節第1主日)

「このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」(Tコリントの信徒への手紙1章30節)

 コリントの教会はパウロが1年半にわたり「人々に神の言葉を教えた」果実であり、パウロの宣教に熱心に協力する人たちがおりました。ところでパウロがエフェソの教会に滞在中、すでにこの教会やコリントの教会でアポロというユダヤ人が雄弁に「主の道」を宣教して多くの人を魅了していて、それが災いしてコリントの教会ではアポロ派,パウロ派またケファ派などのグループが相対立し紛争騒ぎが起きていました。これを聞き知ったパウロは大変憤慨し急ぎ教会に手紙を書いたのです。

 この手紙でパウロは伝道者は自分の人間的知恵や雄弁を決して誇ってはならない。神はこうした人間の知恵によらず、十字架につけられたキリストを宣べ伝えるため使徒たちを選ばれたと説きます。これは人には愚かなこと、でもこれこそが神の知恵、また神の義、神の聖、神の贖いであるというのです。人間の知恵か、それとも神の知恵か、パウロはその選択を教会に求めて「誇る者は主を誇れ」と言います。(エレミヤ書9章22、23節参照)

 私たちもこの選択が出来るよう信仰の訓練に励み、罪と死に勝利する神の知恵であるキリストを力強く賛美し宣教しましょう。


2000年12月10日(降臨節第2主日)

「知る力と見抜く力とを身に着けて、・・・・本当に重要なことを見分けられるように。」(フイリピの信徒への手紙1章:9,10節)

 使徒や福音記者たちはイエスをキリスト〈救い主〉と見分け、力強くこのことを宣教しました。イエスの生涯はローマ皇帝アウグストゥス(位・前27年ー後l4年)とティベリウス(位・後14年―37年)の時代でした。アウグストゥスはローマを中心にヨーロッパ全域、メソポタミア、アラビア、そしてアフリカと広大な領地を支配し"帝国の完成者"とされ、詩人ウェルギリウスは彼を「これぞ久しく待ちにし者、アウグストゥス(尊厳なる者)、天のひこばえ、終末の時をもたらす者」と賞賛し,ユダヤ人哲学者フィロンさえも「元首アウグストゥス、この人こそ全人類を救済した。彼こそ災いを防ぐ者の名にふさわしい」と称えました。しかし、ユダヤ人政治的過激派はメシア(救い主)の到来を待望し、独立を試みて激しい反乱を巻き起こしました。

 さて、これより4、50年後のキリスト教迫害の時代、福音記者ルカはイエスがユダヤ教の会堂でご自身を聖書の預言を完成するメシアであると公言したと記し、イエスは偉大な皇帝アウグストゥスやユダヤ教教師が説くメシアとは全く異なる「平和の主」の来臨であると宣教しました。私たちも「本当に重要なことを見分け」、「キリストの日」に備えましょう。


2000年12月17日(降臨節第3主日)

「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピの信徒への手紙4章5b−6節)

 パウロは自分は「キリストの優しさと心の広さとをもって」いる者と語り(Uコリント10章1節)、またフィリピの信徒にもこの「広い心」を人々に示すよう勧めます(フィリピ4章5節)。この「優しさ」と「広い心」はキリストを信ずる者なら当然身につけるべき品性であるとパウロは理解しています。

 さて「広い心」は「知意の書」(旧約聖書続編)では「神の子」、「義人」の〈寛容〉〈我慢強さ〉また〈謙虚〉を意味し、不信仰な者のそしりの中にあっても神を信頼しつつ彼らの不正義と虐待を自らの身に引き受ける態度を指しています。(同書2章19節)。パウロはこれをキリストのうちに認め、「神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず,かえって自分無にして」フィリピ2章6−7節)と言います。

 私たちはこのキリストの「広い心」によって新しくされ、「主がすぐ近くにおられる」ことを信じて「広い心」のイエスの来臨を熱心に待望し、信仰生活を妨害する何事にも煩わされず、イエスの来臨を喜びをもって迎えるよう恵みと助けを神に祈りましょう。「主において常に喜びなさい。」(同書4章4節)とは「広い心」でこそ実行出来るのです。


2000年12月24日(降臨節第4主日)

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカ福音書2章14節)

 聖霊によってマリアの子となった「神の子」(1:35)が地上に誕生することにより、天にいます神の栄光がこの地にも降り、平和が神の選ぶ地上の人々に与えられるとルカ福音書は告知します。ルカはこのことを天使と天の大軍の賛美の言葉として記しています。この賛美は「いと高き所における神の栄光は地にもあり、平和は御心にかなう人々にある」とも訳されております。(E・デレペク、訳 三好 迫)冒頭の訳分と比べて読んで考えましょう。

 さて、ルカはこの賛美をエルサレムに向かうイエスに対する喜びの歌と対応させています。「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように、天には平和、いと高きところには栄光。」(ルカ福音書19章38節)これは地にいるイエスの弟子たちの群れの賛美です。しかもこの賛美は苦難に耐えている80年代の教会によって読まれ、さらにいっそう苦難にあえぐ2世紀から5世紀の教会に熱心に語り継がれています。

 この荒廃した地上に神の栄光をもって来たり、この地を天上の平和と栄光にまで高め挙げられる神の子イエス、この方こそ真実のメシア(キリスト、救い主)と信じ賛美し、このイエスを宣教する使命はいつの時代の教会も担っています。主イエスのご降誕はこうした意味で私たちが感謝し賛美すべき神のみ業であります。


2000年12月31日(降誕後第1主日)

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハネによる福音書 1章14節)

 とかく自分を他人と比べようとする私たちですが、聖書は私たちの心を神に向け、かつ神と対比させて〈神は永遠,人は死ぬ者〉、〈神は霊、人は肉〉、人の魂は他の生き物のそれと同じでなんら変わらず、そのうえ〈労苦の夜々が定められだ報酬、…肉は蛆虫とかさぶたに覆われ、皮膚は割れ、うみが出ている。〉(ヨブ記7章より)と語り、神の被造物である人間の弱さと脆さ、また死に果てる存在であるとまで断言しています。

 このような私たち人間に対してヨハネ福音書は、神が万物に先立って存在される神の独り子にいまや人間の肉体をとらせ、この地に遣わされたと宣教します。この神の独り子こそ私たちの救い主イエスであり、そのご降誕はこのような滅び行く人間の悲惨を担い、救うための神の選択であります。

 さらに福音書はこのイエスこそ〈父の独り子としての栄光で、恵みと真理とに満ちている〉お方であると力強く宣教します。私たちは自分が人生の主役であり、人間の歴史を操る主人公であると思い込んでいますが、本当は父でいます神の栄光と恵みまた真理でいます主イエスこそ歴史の主であり、また、私たちの救いなのです。


2001年1月7日(顕現後第1主日・主イエス洗礼の日)

「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、・・・・その方は聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。(ルカによる福音書3章16節)

 メシアを待ち望みんでいた民衆が洗礼者ヨハネにメシアの期待を寄せていたとき、ルカ福音書はヨハネとイエスの出現にガリラヤ・ペレア地方の領主ヘロデ・アンティパスの狼狽の様子を巧みに織り込みながら、真のメシアはイエスであると宣教します。

 ルカ福音書はヨハネを「その方(イエス)の履物のひもを解く値打ちもない」者とする一方で、「イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせ・・・主に先立って行き・・・逆らう者に正しい分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する」(1章16−17節)重要な人物と位置づけます。そして福音書はイエスの救いが「万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光」(2章31−32節)であると宣教します。さらに福音書はイエスが洗礼を授かるとき「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(3章22節)との天上の声が聞こえたと記し、民衆のただ中にあって民衆を救うメシアとしてのイエスを印象づけます。私たちはこの福音記者ルカのイエスに対する周到な信仰に学び、またイエスの救いを求めてこれからの新しい一年の信仰生活に励みましょう。


2001年1月14日(顕現後第2主日)

「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイユスの名により命を受けるためである。」(ヨハネによる福音書 20章30−31節)

 80年後半から90年代、エルサレム神殿を失ったユダヤ教は分裂の危機にあり、またキリスト教はユダヤ教から異端とされていました。この厳しい情勢にあってヨハネ福音書はイエスが真実のメシアと宣教し、キリスト者を導いて固く信仰に留まらせ、イエスをメシアであると信じないユダヤ教徒たちにはイエスを信じるよう決断を迫っています。

 洗礼者ヨハネから洗礼を受けたイエスは彼の弟子アンデレとシモン・ペトロを、次にフィリポとナタナエルをご自分の弟子としてガリラヤの地に北上、カナの婚礼の宴会のさなかに水を最上のぷどう酒に変える奇跡を行われたと福音書は記します。しかも福音書はこれを「最初のしるし」また「栄光の現れ」であると語ります。

 祝宴をいっそう盛り上げるはずのぷどう酒、その佳境にあって不意の品切れ、これにユダヤ教とその終息を、次に急遽新しく調達されだ極上のぶどう酒にはイエスのメンアとしての到来を、このように福音書はこれらを「しるし」として読者の心に印象づけます。私たちはその鮮明な意図をここに見抜かねばなりません。


2001年1月21日(顕現後第3主日)

「会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。・・・皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて・・・。会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。」(ルカによる福音書 4章20、22、28−29節)

 イエスは故郷ナザレのユダヤ教会堂で安息日の礼拝を守り、教師(ラビ)として人々に話しをしておられますが、福音記者ルカはこのとき会堂に集まっていた人々の心の変化を上のように記しています。

 こうしてナザレの住民がイエスに寄せるメシア像は、地に住むすべての貧しい人や捕らわれ人まだ圧迫されている人々を救うメシア像(イザヤ書61章)と大きく相違し、イザヤ書のメシアこそがイエスであるとルカ福音書は宣告します。

 こうして福音書をはじめ新約聖書全体は、イエスが真実のメシア(救い主)であって「罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」(ルカ福音書24章47節)福音そのものであると宣教します。

 いま人々は世界規模の不況から脱出しようと喘いでいますが、今後人間社会にはさらに熾烈な競争や対立が増長し、社会的格差がよりいっそう拡大されるでしょう。この危機に私たちはイエスのメシア像をイザヤ書61章の「貧しい者への福音」に求め、イエスの救いを確信して祈りましょう。


2001年1月28日(顕現後第4主日)

「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」と主は言われた。(エレミヤ書1章7節)

 エレミヤは存亡の危期のユダ王国にあって預言活動に生涯をささげました。(紀元前7〜6世紀)イスラエルの滅亡は「わたしを捨て、他の神々に香をたき,手で造ったものの前にひれ伏した」との神の言葉をエレミヤは代弁し、彼らの信仰の堕落の責任を追求しました。でもこの預言活動によってエレミヤ自身は非難中傷され、なぜ自分はこの時代に生まれたのか、生涯を恥の中に終わらなければならないのかと悩みました。しかし神はこのエレミヤを離さず、神の怒り、神による「終わりの日」を、またその日の後「疲れた魂を潤し、衰えた魂に力を満たす」(31章25節)神の救いの時の到来を宣告させます。このようにエレミヤは神によって立てられ用いられて迫害のなかにその生涯を閉じました。

 さて、私たちはエレミヤのこの献身的な活動を受け継ぐ者であります。いつの時代も人々が神の怒りと裁きを免れることは出来ません。このことは現在の世界情勢を分析し、癒され難い人心の退廃を見れば分かります。この背信的な時代の人々の心に、生きる「道しるべを置く」(31章21節)任務を私たちは勇気をもって担いましょう。


2001年2月4日(顕現後第5主日)

「神の恵みによって今日のわたしがある」(コリントの信徒への手紙1 15章10節)

 原始キリスト教時代の教会にとって重要なことは、使徒たちによって信徒の「生活のよりどころとしている福音」(同書15:1)が正しく伝承されていることでした。

 そこで間題なのは伝道者パウロがその使徒の一人か、どうかということですが、彼はまず救いの福音の中心的内容とはイエスの贖罪死、葬り、復活、顕現と語り、これらは使徒たちによってもっとも大切な信仰告白として伝承され、パウロ自身もまたこの福音を使徒から伝受されたと説明します。

 しかし、パウロは自分が使徒であることはまったく神の恵みであるとして、使徒のうちでも「最後に、月足らずで生まれたようなわたし」(8節)、「神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者」(9節)と断りつつ、使徒としてのわたしの働きは「実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵み」(10節)そのものであると宣教して、これがわたしの宣教すべき全て、またこれがあなた方の信ずるべきことの全てであると言っています。

 ここに私たちとその教会がよって立つべき福音が、また整えるべき教会の姿勢が示されています。


2001年2月11日(顕現後第6主日)

「群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。」(ルカによる福音書 6章19節)

 神を信じ、自分が正しければ、その正義が私に味方し、神は私を見捨てず、必ず助けてくださる。・・・・このような信仰理解は多くの人に見られ、人々はこうして「神ともにいたもう」と信じます。しかし聖書はこうは教えません。

 マタイ福音書に「インマヌエル」(神は我々と共におられる1章24節)とありますが、これは誕生のイエスについて語った天使の言葉であり、イエス以外の人々に対する言葉ではありません。しかしそれにもかかわらず、聖書はイエスと共にある私たちに神が共にいてくださると宣教しています。なぜでしょうか。

 福音書は神の助け、神の恵み、神の救いを私たちの生活の中で証明しようとはせず、これをイエスの死と復活によって啓示します。イエスはただの癒し人でも奇跡を行う人でもありません。神がイエスと共にいて、私たちを助け、恵んで救ってくださるのです。イエスを信じれば私たちも死から復活するというのは間違いです。イエスの死と復活は私たちの死や復活よりもはるかに重大なことで、これによって私たちは「終わりの日」に死から復活されたイエスと共に甦らされるのです。信仰には「完全な逆転」が必要なのです。


2001年2月18日(顕現後第7主日)

武藤京都教区主教よる堅信式、説教がありました。以下は野々目司祭による堅信式の解説


入信の式・・洗礼と堅信

 入信の式の原形は主イエス・キリストがヨルダン川で洗礼者ヨハネによって洗礼を受け、そのとき神の聖霊が主に降だったこと(マタイ福音書4章13−l7節、マルコ福音書1章l2、13節、ルカ福音書4章1−13節)にあり、初代教会は〈洗礼、堅信、初陪餐)を一括して入信の式としていました。ヒッポリトス(ローマの教会著作家、AD170−236)が著した〈使徒伝承〉にはこの入信の式の順序が示され、堅信は主教が聖油を手に注ぎ、その手を受洗者の頭上に置いて塗油して祈るとあります。その後、この堅信式はその取扱い上の変遷を見ますが、聖公会の祈祷書はこれを「使徒たちの模範」に従ったものとして確保しています。

 さて、堅信志願者は受洗時の誓約である〈キリストに帰り、悪の力を退け、キリストを信頼し、キリストを模範として神を愛し、隣り人を愛する〉ことを再確認し、主イエス・キリストに降ったと同じ聖霊を受けて主と一体となり、新しい命に引き上げられた者としてキリストの祭司職に励みます。ですから堅信を受けることによって信徒は信仰生活を活発に行う者となるのです。本日、堅信を受けられるお二人に神さまの豊かな祝福がありますように。

エリサベト熊取谷知子さん
マグダリーン倉田敏江さん


2001年2月25日(大斎節前主日)

「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。(ルカ福音書9章35,36)

 福音書の〈イエスの変容〉の記事全体は苦役にうめき苦しむイスラエル人の解放を求める叫びに、神が聞き入れて救い出された出来事(エジプト脱出)と関連させるべく、この出来事をイエスの死と復活の予告のすぐ後に配置しています。聖書では「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた」(31節)とありますが、原典のギリシャ語はこの〈最期〉を〈脱出、旅立ち〉を意味する"エクソドス"としています。これはモーセが指揮しだエジブト脱出(エクソゾス)を私たちに思い起こさせつつ、〈イエスの受難と死、復活と昇天のため、この世から離れる旅立ち〉を指しています。

 イエスは現世の英雄、果敢な勇士といった理想的な姿としてではなく、贖いの羔(こひつじ)として神に〈選ばれた者〉であります。

 頭と足と手とが
  いま働きを終えたことを喜んでいる
 心よ、喜べ
  主はこの地の悲惨さと 罪ある働きとから
 私を解放されるであろう。
(パウロ・ゲルハルト 17世紀)

 〈この世の苦悩に耐えつつ、じっと警戒し続けるとき、私たちはイエスの栄光ある救いにあずかれる〉と宣教するのがこのルカ福音書の主たる使命であります。


2001年3月4日(大斎節第1主日)

「イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を"霊"によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。」(ルカによる福音書4章1、2節)

 ルカ福音書はイエスの宣教活動を主に5段階に構成しています。
1 ガリラヤ地方での活動(4:14−9:50)
2 エルサレムへの旅路(9:51−19:27)
3 エルサレムでの活動(19:28−2l:38)
4 最後の晩餐と受難(22:1−23:56)
5 復活と天への旅立ち(24)

 1ではイエスが罪人を招いて悔い改めさせ、彼らがみ言葉を聞いて行うよう導き、福音に与らせようとされます。パンの誘惑はこのイエスの活動を妨げようとしています。2ではエルサレムヘの旅路で病人を癒し、神の国の支配が近づいたと宣教されるイエスに、世界支配を策謀する王権への誘惑が襲います。つぎに3ではエルサレムの神殿でイエスの教えに聞き入る民衆と弟子たちの前で、メシアの最後的活動である受難と死を遂げようとするイエスの活動を封じ込めようと誘惑が迫っています。

 こうしてルカは悪魔の誘惑という伝承を、メシア・イエスの宣教活動と受難死に対する激しい妨害として福音書の序幕部分に置いています。「己に勝つ力を与え、肉の思いを主のみ霊に従わせ」と祈る私たちは、誘惑を退けて救いを完成されたイエスに感謝しつつ信仰生活の修練に励みましょう。


2001年3月11日(大斎節第2主日)

「その名(イエス)によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に伝えられる。」(ルカによる福音書 24章47節)

 ルカ福音書はイエスの系図をアブラハムを経てアダムにまで逆かのぼらせます。真実ではないこの系図で、福音書はイエスの救いが"救いはエルサレムから"というユダヤ思想を受け継ぎつつも、神の救いは全人類に及ぶものとなったと宣教し、神の広大な世界史的救済を展開しています。こうして福音書はユダヤ教のエルサレム中心主義を超えようと試みます。

 イエスのエルサレムにおける活動を福音書は多く記します。(本日の福音書の日課もその一つです。)しかしこの福音書はその最後の部分(24章47節)で、イエスの活動は全世界の人々の救済であるとし、宣教する教会の視野を広げようとします。

 教会はイエスの福音を熱心に宣教するあまり、偏狭な教会中心主義に陥ってはなりません。この2月に、シンポジウム「アフリカにおける紛争と平和共存の文化」が外務省と日本国際間題研究所によって催され、貧しさが紛争のすべての原因でないこと、貴重な天然資源が武器購入の手段となっていること、軍事的、独裁的政権が弱者を踏みつけ民主主義を否定していることが討論されました。平和と人権に関する取り組みも教会の重要な宣教課題であります。


2001年3月18日(大斎節第3主日)

「木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。」(ルカによる福音書13章8、9節)

 欧州都市には壮大な教会建築が各所に見られますが、その多くは7世紀以降12世紀にキリスト教徒となったゲルマン人の王たちが神の怒りを鎮め、また民の平和を祈って建てたものです。王たちは「そうすれば天に富を積むことになる」(ルカ福音書18:22)と考え,富を死後の霊の救いに役立たせようと心がけました。古代ゲルマン人社会では黄金や宝石をその所有者の権力と幸運の表れとし、他人に盗まれないようこれら財宝を地下や海に埋蔵し、功績のあった家臣たちには財宝を分配して権力の維持に努めました。しかしキリスト教はこうしたゲルマンの富者、権力者たちの慣習を改めさせ、教会を建立することにより天国での救いを確実にするように勧めました。また12世紀以降には経済力を持ち始めた市民たちも教会建設に参加するようになりました。

 さて私たちの教会の境内地と聖堂は約100年前、アメリカ聖公会の信徒たちによって献げられた信仰の果実であります。私たちは彼らに感謝し、これに豊かな果実を実らせなければなりません。さもなければ切り倒されます。


2001年3月25日(大斎節第4主日)

「神と和解させていただきなさい。」(コリントの信徒への手紙二 5章20節)

 伝道者パウロは「神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした」と言っていますが(コリントの信徒への手紙一 2章1節)、それは神の救いの計画であるイエスのみ業が優れた言葉とか知恵では説明しようがないからだけでなく、そのみ業自体が優美で聡明な人間的知恵ではないからです。

 "お前がユダヤ人の王、メシアであるなら、自分を救ってみろ"といった人々の罵声を浴びる十字架のイエスでした。彼がメシアだとは誰しも信じることが出来なかったのです。ルカ福音書の「放蕩息子のたとえ」に出てくる〈愚かな愛〉の父親の行為がイエスのみ業を、そしてその父親をなじる兄息子の態度にはその〈愚かな愛〉を否定する人間の知恵と傲慢を見ることができます。

 この神との和解が必要なのは〈放蕩息子〉である弟息子です。この「たとえ」はイエスによって差し出された〈愚かな愛〉を示し、それが「神との和解」を確実なものとする保証であります。

 兄息子か、それとも弟息子か、私たちが演ずべき実像はそのどちらでしょうか。誰の目にも同情を集めることが出来る兄息子でしょうか。それとも誰もが軽蔑する弟息子でしょうか。