2001年前半 2000年後半 2000年前半 1999年後半 1999年前半 1998年前半 1997年後半

■■■■■ 1998年6月7日(三位一体主日・聖霊降臨後第一主日) ■■■■■

 「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」(ヨハネによる福音書 16:13)

 先月、隣国同士のインド、パキスタン両国が地下核実験を行いました。

 宗教上の対立と領土紛争が治まらない両国が自国の立場を正当として相手国を非難し、それが国家の良心を鈍化させています。

 ドイツ連邦共和国の前大統領リヒアルト・ワイゼッカーはかって「国家は法的な手段に訴えて利益を争うただなか、精神的にはなにも見えなくなって共同体を支配する。これは一種の自己実現を求める生命哲学である。」と警告し、自己実現を美徳とし、精神的な価値をおろそかにする国家や民族に良心の覚醒を訴え続けて国家と国民を指導しました。

 このことは自己実現の達成が容易となった中産層の人々が特に自己警告する必要があります。

 彼らは容易に「手に取ることが出来、存在に触れること」(エリッヒ・フロム)に楽しみを発見し、人間の心に深く刻まれるべき精神性、良心を軽視する危険があるからです。

 いま私たちは聖霊に導かれ、「見るに見かねて他者のために働き、他者の罪責を代わって自分が担い、良心に目覚めて、神の前に責任を持って行動する」(D・ボンヘファー)勇気を求めて祈りましょう。

■■■■■ 1998年6月14日(聖霊降臨後第2主日) ■■■■■

 「あなたは足を洗う水をくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。」(ルカによる福音書 7:44)

 神に愛され豊かな恵みをいただくためにどうあるべきか、それは神に対して敬虔かつ従順、また神の戒めを守ることであると私たちはよく考えます。

 ルカ福音書7章もこうした人としてファリサイ人シモンを仕立て、その優等生シモンに律法の教師イエスを丁重に食事の席に招かせます。

 ところがこの食事の席に罪深い女が割り込み、イエスに近寄ります。

 そしてこの女のイエスに対するもてなし方、またイエスの対応にシモンは不審を抱きます。

 不純な過去を持つこの女性はともかくも、律法の教師イエスまでもがこの女の仕草を受け入れ、それをこの女が為し得る精一杯の愛の行為と認められたのですから。

 福音書はここで私たちに《シモンのようにではなく、この罪深い女のように》イエスを迎えよ、それがイエスにもっとも近寄る方法であり、神から赦されるばかりではなく、神が私たちを愛の関係に招いてくださる道であると教えます。

 私たちも神に対して正しい人間を装うことより、自分を罪深いものと認めながらも、心からイエスを信頼し、イエスに近寄りましょう。

■■■■■ 1998年6月21日(聖霊降臨後第3主日) ■■■■■

 「人の子は必ず多くの苦しみを受け、・・・排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」(ルカによる福音書 9:22)

 イエスの受難予告は旧約聖書ですでに神の計画として理解され、またイエスご自身が苦難を伴う死を覚悟し、これを受け入れられたとルカ福音書は記しています。

 イザヤ書53章の「神の僕の歌」や詩編22章の「義人の苦しみの歌」などがその旧約聖書の箇所であります。

 ところでイエスがこの苦難を担われたことには、ユダヤ民族を取り巻く当時の時代背景がありました。

 ローマ帝国の支配下ユダヤ独立運動が起こる一方で、ユダヤ教の伝統に固執する宗教的敬虔派ハシデームやファリサイ派による律法厳守主義がユダヤ民衆を支配していました。

 こうした時にイエスはユダヤ教の二大潮流から自由となり、人があるべき真実の生き方を示されました。

 ポーランドの映画監督アンジェイ・ワンダは『地下水道』で〈戦争はただ勝つための手段〉に過ぎないとして戦争の虚偽性を描き出し、その残虐な人間性を悲しみつつも両親から受けた教育や古典文化の教養のほか教会で学んだ神の法と信仰に立ち人間性の尊厳とその回復の大切さを訴えています。

■■■■■ 1998年6月28日(聖霊降臨後第4主日) ■■■■■

 「あなたがおいでになるところなら、どこへでも従って参ります。」(ルカによる福音書 9:57)

 ルカ福音書9章51−56節はイエスが受難死を経て栄光への道を歩まれるまでの伝承を記者ルカが編集している部分です。

 そしてこの伝承は預言者エリヤ(前9世紀)とその弟子エリシャに関する旧約聖書の伝承を下地としています(旧約聖書、列王記・下1、2章、同書・上19章)。

 しかも、イエスが受難死を通してなされた救いのみ業と弟子たちの宣教の働きは、この旧約の伝承よりも厳しく、地上のあらゆる人間的絆(きずな)を越えた神のみ国を築き、これを宣教するものであるとをこの福音書は記します。

 このようにイエスに従う弟子たちの歩みは厳しい人生の選択であっても、それは神の愛から出た導きでありました。

 ですから私たちも「み心に従って良い行いの実を結ぶことができるようにしてください」と祈るのです。

 人々はしばしば前例に従うことで行いの正しさを得ようとします。

 しかし、私たちは「霊の結ぶ実」を実らせることを信じ霊の導きを信じて生き、また前進しましょう。(ガラテヤ 5章)

 ここで人々、国家の常識に組みせず、真実の平和を訴えて活動した英国の現代作家、評論家ジョージ・オーウェルにも学びましょう。

■■■■■ 1998年7月5日(聖霊降臨後第5主日) ■■■■■

 「大切なのは、新しく創造されることです。」(ガラテアの信徒への手紙 6:15)

 世界規模の大不況が私たちの生活に暗い影を落として世紀末を迎えています。

 世界一富める国といわれる米国さえも、このままでは不況に引きずり込まれてしまうと不安を募らせています。

 このような深刻な事態を招き寄せたのは、とりもなおさず私たち人間に他なりません。

 人間社会は他の生き物たちと違い高度な知能を持ち、考え、道具を作って使用し、自由を尊びながら、互いに助け合って生きてきました。

 しかし、科学の進歩による開発事業や経済の発展が今では環境破壊を加速させる張本人であることに私たちは気が付き始めました。

 この人間本位、自己過信が世界を思わぬ危機に陥れつつあります。

 このことについて私たちはどのような責任をとるべきでしょうか。

 「思い違いをしてはいけません。神は人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。」(ガラテア6章7節)とパウロは厳しく教えながら、私たちがこの世に属さない神の霊の畑に種を蒔くようにと勧めています。

 こうして私たちは生き方をいさぎよく転換させて、キリストによる神の新しい創造の働きに参加しましょう。

■■■■■ 1998年7月12日(聖霊降臨後第6主日) ■■■■■

 「神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように」(コロサイの信徒への手紙 1:11)

 自分の良心を呼び覚ますとき、私たちは自分が神の栄光と祝福を受けられない弱さ、罪のうちにいることを知って悲しくなります。

 戦後日本も53年目となりますが、学徒兵として戦場に追いやられた青年将校たちが、戦争の不当性に気が付きつつ、その戦に駆り出されて自分の生と死の意味を問い質して苦悩していたことが分かります。(NHK取材班「21世紀は警告する」・祖国喪失)

 戦争という最も醜い営みに没頭せざるを得なくなった自分を悲しみ、それを自分の死が償ってくれるものでありたいと訴えつつ彼らは短く若い命を絶ちました。

 さて、伝道者パウロは「今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。」(コロサイ1:24−29参照)と語り、自分自身の罪科に悩みつつも身に受ける迫害を教会のために役立つものであれと願って殉教の死を遂げました。

 こうしてパウロはキリストにあって生き、そして死ぬことに人生の意味を見出し、神の栄光と豊かな祝福を確信して一生を遂げました。 

■■■■■ 1998年7月19日(聖霊降臨後第7主日) ■■■■■

 「今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、」(コロサイの信徒への手紙 1:22)

 主イエスがユダヤ教社会にあって宣教されたときの大敵は、律法の専門家(教師)が説く律法厳守主義とその行いでした。

 先主日に読まれた福音書(ルカによる福音書10章25−37節)の〈善いサマリヤ人〉のたとえに登場する祭司とレビ人はそうした律法厳守の人たちでした。

 彼らに対し、サマリヤ人は彼らの説く律法で裁かれつつも、それに頓着せずに自発的な愛によって行動しました。

 このサマリヤ人は自分の人格の内奥から出た自由な行為を行ったのです。

 福音書はこのサマリヤ人こそ主イエスであり、主ご自身も律法から自由であって人々を律法と罪の支配から解放されると宣教します。

 また、パウロはこれをイエス(御子)による神の和解であると説きます。

 和解とは断ち切られた関係の両者を再び正常な関係に復帰させる働きであり、これが神の愛であります。

 私たちを神と和解させるお方が主イエスであると信じ、イエスこそ私たちの恵み、また希望としましょう。

 人間社会には分離、分裂という悲しく惨めな現実が絶えません。

 神はそうした私たち人間同士の和解のためにもいつも働いておられます。

■■■■■ 1998年7月26日(聖霊降臨後第8主日) ■■■■■

 そこでイエスはいわれた。「祈るときには、こう言いなさい。」(ルカによる福音書11:1−13)

 主イエスは人々から離れてたびたび祈られました。

 また、主は食事のとき、悪霊を追い払うため、癒しをなさるためにも力強く祈られました。

 さらに主はご受難の前に愛する弟子たちのために祈り、お苦しみの十字架上で天父の助けを心から祈られました。

 主イエスの祈りはすべて天父でいます神に対し強い信頼をもってなされました。

 ですから、弟子たちが祈るときにも「父よ」と言って神に呼びかけるように教えられます。

 これは祈るときの態度を整え、愛でいます神は私たちの祈りを必ず聞いてくださるという確信に私たちを導きます。

 「御国が来ますように」と祈ることは祈りの基盤です。

 糧を今日もと祈り、罪の赦しを求め、誘惑からの守りを願うことは、御国を求める信仰の態度から導き出されるものであります。

 「誘惑」とは迫害に遭っている信徒たちにとって、信仰を棄てようと思案することでありました。

 福音書が礼拝で読まれた最初の時代はこうした厳しい状況下であり、この「主の祈り」が教会の礼拝での切実な祈りであったことを想像して、私たちも同じ気持ちで祈りましょう。

■■■■■ 1998年8月2日(聖霊降臨後第9主日) ■■■■■

 何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい(コロサイの信徒への手紙2:17)

 今日の旧約聖書日課「コヘレトの言葉」のコヘレト(ヘブライ語)とは「集める者」の意味で、極めて独創的内容の書です。

 紀元前3世紀末のマケドニヤ王の支配下、エルサレムで暮らす裕福階級の中の「知恵の教師」とも言われた指導者が語った言葉が本書です。

 なお、本書を旧約聖書に入れるか、否かで論争のあったことも巻末(12:9−14)から推察できます。

 コヘレトは人生経験から到達した考えを述べて、
(1)知恵の探求は所詮空しい企てにすぎない。
(2)だからといって快楽を追求してみたが、これも空しいものに終わった。
(3)知恵と愚かさに違いがあっても、死がそのことを無意味とする。
(4)労苦して得た結果も空しく、心は休まらない。
(5)だから、労苦で得たものでもって、いま自分の魂を満足させよ。
と語ります。

 さて、私たちはこの虚無的思想を越えて自立的な存在者として立ち直るため、どうしたらよいでしょうか。

 それは神に出会い、神の前に豊かになることと新約聖書は教えます。

 これは私たち各自の課題でありますが、このために互いに励まし合いましょう。

1998年8月9日(聖霊降臨後第10主日)

 ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。(ヘブライ人への手紙11:16)

 18世紀後半、西欧には啓蒙主義思想、専制的権威や既成宗教を批判し、人間理性を尊重する合理主義の大波が押し寄せ、知識人、学者、ジャーナリストまた聖職者たちを多く巻き込みました。

 彼らによって宗教は近く衰退する運命にあると予告されもしました。

 ところがイスラム教は急激に伸長し、キリスト教も一向にその勢いを失わず、特に福音派と言われる諸教団は合理主義が生んだ人間社会を腐敗し堕落した悪の世界と批判し、たとえば人工妊娠中絶に反対し、公立学校での祈祷の復活を叫び、進化論を否定したりして活発に運動を展開しています。

 彼らは家庭の秩序を大切にし、礼拝に励み、勤勉、かつ誠実に生活します。
 しかし、彼らの信仰生活は排他的、自己中心的な傾向が認められることがあり要注意です。

 ここに米国聖公会の婦人グループ『王の娘たち』があります。

 これは《祈り、奉仕、伝道》に励んで、教会ごと小さい仲間として内外の人々を助け、また、会員はどんな人も受け入れ、彼らに奉仕します。

 いまこれが大きく成長中です。

1998年8月16日(聖霊降臨後第11主日)

 すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。(ヘブライ人への手紙12:14)

 「ヘブライ人への手紙は」ローマの教会の一指導者がローマを離れていた期間に使いの者に託して信徒たちに送った手紙です。

 ここで筆者は、信仰者は苦難を忍び、神の栄光を受けられたイエス・キリストを目標として、神の守りを得て自分を鍛え、キリストにある平和と聖なる生活を希望して生きよと勧めます。

 筆者は鍛錬は「当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われる。」と説明します。

 この悲しみは苦しみでもあります。  これは飢え、渇き、暑さ、寒さ、病のときの経験であり、また不幸、死、災い、屈辱、暴力によって被る経験でもあります。

 筆者はこのような苦しみを、キリストの勝利を心に念じることによって耐え忍ぶことが出来ると教えます。

 これはあたかも運動選手が、’かくありたい自分’を心に描き出し(イメージして)、自分を鍛錬することに似ています。

 なお、ヘブライ人への手紙ではノア、アブラハムやモーセを信仰の手本に挙げて神を信じて生きる者が勝利に到達する証人とし、イエス・キリストをユダヤ教信仰の完成者と認めて、いまのときの苦難に耐えよと勧告しています。

1998年8月23日(聖霊降臨後第12主日)

 「我々は死と契約を結び、陰府と協定している。」「私は正義を測り縄とし恵みの業を分銅とする。」(イザヤ書28章15,17節)

 私たちは内外の情勢の中で、進むべき道が定まらず困惑の道をさまよっています。

 これは全世界の人々に共通する状況でもあります。

 こうした混乱に生きる私たちに本日、イスラエル南王国ユダに対して行ったイザヤの預言を学ぶ機会が与えられています。

 王国ユダは当時シリア・エフライム戦争(BC734−732)の中にあって、北王国イスラエル(エフライム)が同盟国ダマスコ(シリア)と取った反アッシリア政策に対抗し、アッシリア王に服従する態度に出ました。

 しかもその後に及んでユダ王はエジプト王とも密約を結びました。

 イザヤはこうしたユダ王の軽率な態度は神を嘲る態度だと厳しく叱責します。

 このほかイザヤはユダの支配階級が貧者を抑圧し傲慢な生活を楽しみ、神殿での祭儀を汚しているとも非難しています。

 「定められた滅び」(22節)と言いつつ、イザヤは正義と恵みの神に信頼し続けるものを「残りの者」(10章22,23節)として神は必ず救うと語ります。

 不確かな時代に生きる私たちもイザヤの預言に啓発され、神を信頼して生きましょう。

1998年8月30日(聖霊降臨後第13主日)

 「昼食や夕食の会を催すときには友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない」(ルカによる福音書14章12節)

 本日の福音書はイエスが語られた二つの教訓です。

 始めの教訓は「高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(11節)という教えですが、この教えの背後には「へりくだって、死に至るまで従順」であったイエスを「神は高く上げ」(フィリピの手紙2:6−11)られたという信仰があります。

 次の教訓は血縁、地縁を重視する地上の宴会への招きとは違い、「神の国」への招きは地上では無視されている卑しい人々が優先されていることを教え、神の愛を逆説的に示しています。

 事実、私たちはこの神によって「神の国」に招かれているのです。

 聖アウグスチヌス(430年没)は言っています。

 「神の国と悪魔の国を区別するのはただ愛だけである。同じようにキリストの十字架のしるしをつけ、アーメンをとなえ、ハレルヤを歌い、洗礼を受け、教会に詣で、バジリカを建てようとも、ただ愛によって神の子は悪魔の子と区別される。」と。

 ゲルマン民族の侵入で陥落した「永遠の都ローマ」は所詮「地上の国」であるが、その滅びの民をも、神は「神の国」に招かれると説きました。

1998年9月6日(聖霊降臨後第14主日)

 「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、さらに自分の命であろうとも、これを憎まないなら、私の弟子ではありえない」(ルカによる福音書14章26節)

 「弟子入り」には師と仰ぐ人物を信じて従い、これが厳しくとも自分を生かす唯一の道であると覚悟することが求められます。

 ここでいう「憎む」(miseo)とは信じて従うべき人物に完全に献身するため、他の一切の人そして自分自身すらも、従うべき師と同等の価値に置かないこと意味します。

 福音書記者ルカはイエスがこのことを二つのたとえをもって教えていると記します。

 ユダヤ教徒、ついでローマ皇帝の迫害に苦しんだキリスト教会にあって、この福音書は「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」と言って息絶えたイエスの殉教死をもって「従う」事の最良の模範とし、さらにイエスが死を越えて復活、顕現、昇天へと突き進んで永遠の勝利を得られたと語り、イエスを信じて従う私たちを完全な勝利へと導きます。

 こうして二つのたとえは私たちに真実の生き方を教え、イエスに従うための自己点検、自己吟味を促します。

 次の33節の財産放棄の勧めはルカが加筆したものと考えられています。

1998年9月13日(聖霊降臨後第15主日)

 「わたしを遣わされたた方のみ心は、わたしに与えてくださっ者を、わたしが一人も失わずに、終わりの日によみがえらせることである。:わたしの父のみ心は、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。」(ヨハネ福音書6章39、40節)

 初夏に、また今秋にも私は信徒の方々の訃報に接し悲しい思いをしております。

 時間上、また距離的に葬送式に参列できないとき、私たちは弔電ないし弔意を表す手紙を喪主に届けます。

 しかし、これでは気が済みません

 こんな時にお勧めしたいことは、今おられる場所で「葬送式」式文の《告別の祈り》(聖公会祈祷書356頁)を用いて祈ることです。

 これはこの世の旅路を終えた僕(しもべ)も私たちも、神さまの慈しみと導きを得て、神のみ国において永遠の喜びを感謝することが出来ますようにと祈る内容です。

 ヨハネ福音書6章で、永遠の命をイエスに求める者をイエスはその一人も見失わず終わりの日に復活させてくださることを学びますが、私たちは本日に日課(ルカ福音書15章)でも、イエスは罪からの解放を願う者を誰一人見失うことなく必ず見出し、み国に導かれることを知ります。

 世を去る者、世に残る私たちにもこの神の恵みに感謝しましょう。

1998年9月20日(聖霊降臨後第16主日)

 「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(ルカによる福音書16章13節)

 南フランスの作家ジャン・ジオノ(1895−1970)は短編『木を植えた人』(1953年)を書いています。

 そこには一人息子と妻に先立たれた男ブフィエが登場します。

 彼は南フランスの標高1200mの高地で20匹の羊を飼いつつ、毎日ドングリ100個を荒れ放題の地面に蒔いて暮らします。

 この実が大きく生長して椈(ブナ)や樫また樺になるのはたった10%に過ぎません。

 彼は少なくとも第2時世界戦争が終わる1945年に87歳までは生き続け、来る日ごとにこうして暮らし続けました。

 ブフィエのこうした働きは誰知ることなく過ぎますが、今はその辺りに落葉樹が茂り、そこを優しいそよ風が吹き、こんこんと湧き出る泉の周辺に28人の農夫が静かで豊かに暮らしているそうです。

 後日このブフィエのことを知った一森林保護官は彼こそ本当の幸福への道を探し当てている人だと感動します。

 神の国の宝、それはこの世の富と比べるときは無視されて当然でしょう。

 また、世の富なしには生きられない私たちです。

 しかし、せめてその富を用いて本当の幸福への道筋を切り開きましょう。

 主イエスに導かれつつ。

1998年9月27日(聖霊降臨後第17主日)

 「不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。」(テモテへの手紙・ 6章17節)

 ”この世の富に満たされても慢心するな。金銭のように不確かなものに望みを持つな。望みは神に抱け。神こそが人間に必要なものをすべて惜しみなく与えてくださるのだ。このように人々に訓戒せよ。”とパウロは愛する同労者テモテに勧めます。

 彼はここでこの世の富の所有者を咎めているのではありません。

 この世とはキリストが再び来られるまでの時間。

 だからこの世の富、また自分のよい業(善行)に満足するな。

 これに自分の将来の希望を託するような愚かなことを避けよ。

 むしろキリストによる救いのみ業に真実の希望の根拠を見出せと言うのです。

 福音書のイエスの例話「金持ちとラザロ」は、人が求めてやまないこの世の富の価値がやがて来るべき神のみ国の価値に取って代えられること、それがイエス・キリストによってなされる救いのみ業であることを示唆します。

 原始キリスト教時代、使徒たちは律法と預言者に固執するユダヤ教徒を「金持ち」に、キリスト教徒を「ラザロ」に例えているようです。

1998年10月4日(聖霊降臨後第18主日)

 「見よ、高慢な者を。
彼らの心は正しくありえない
しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」
(ハバクク書 2章4節)

 神の選びの民イスラエルにとって、エルサレムの神殿が他民族によって占拠されることは最も屈辱的な事であります。

 紀元前598年バビロニヤ王国の侵入によりイスラエル・ユダ王国は無法状態、悪が栄え正義が滅びるという悲惨な事態となって、民が神の存在を疑うまでになりました。

 この時預言者ハバククは、「それ(神のみ業)は終わりのときに向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ遅くなっても、待っておれ。」と叫び、次に冒頭の言葉を語り続けます。

 こうしてイスラエルの民は悲惨な苦難の下に置かれることで自分たちの信仰をいっそう確かなものに強めました。

 そしてさらにこの信仰はキリスト教会に受け継がれ、迫害下の信徒たちが《栄光は父と子と聖霊に、始めのように、今も世々に限りなく、アーメン》と祈ります。

 これは神を賛美する言葉ですが、同時に原始キリスト教時代の信徒たちの熱心な祈りだったのです。

 これもまたパウロの同労者テモテが祖母ロイス、母エウニケより受け継いだ信仰であり、私たちもこの信仰を受け継ぐものなのです。

1998年10月11日(聖霊降臨後第19主日)

 「私たちは国際債務問題と経済正義問題を、神の創造に対する私たちの信仰に照らして考察する。」(’98 ランベス会議決議より)

 経済危機は私たちの国の中にも波及し、例えば住居を購入するために設定した借金の返済に困窮する人々が続出しています。

 また20歳代の青年の労働賃金が大きく目減りしています。

 こうして日本でも社会不安が人々の心を浸食し、生きていく先の希望をも摘み取り、深刻な事態であります。

 今夏英国で開催された世界の全聖公会の主教たちが参加したランベス会議でも、このような世界的不況と貧困の蔓延に対し考察し、《神は一人一人の人間を、尊厳と価値を付与して創造された。経済的不正、不平等によって貧困に陥れられた人々の尊厳と価値を神は回復される。我々はいま不当な債務に苦しんでいる国々の債務を免除して価値ある人間性を取り戻すべきであると考え、諸国家、財政機関が強い指導性を発揮するように要請する》といった内容の決議を行いました。

 今日の聖餐式の旧約聖書日課「ルツ記」は、不幸な出来事によって貧困となり、差別また不安にくれる人々を神は自ら犠牲を払って救出されると語り、私たちを励まし、かつなすべき事を示唆しています。

1998年10月18日(聖霊降臨後第20主日)

 「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。」(ルカによる福音書18:1)

 ルカがこの福音書を書いていたであろう小アジアかカイサリヤの教会には、貧しい信徒、夫を亡くし十分な保護を得られず不安に暮らしていた寡婦たちも多くいたことでしょう。

 またユダヤ教とから妨害を受けて苦しんでいた信徒もいたに違いなく、彼らはキリストの再臨をいまか、いまかと待望していたのです。

 こうした状況下でルカはイエスが弟子たちに話されたたとえを語っているのです。

 寡婦の訴訟を公平に取り上げず彼女に相手被告に有利な判決を下す不正な裁判官が、執拗に擁護を求める寡婦の願いに根負けして聞いてしまうというたとえで、イエスが信徒たちの切々たる救いの願いを必ず聞き入れ、彼らを苦しめる者たちを速やかに裁いてくださることを学びましょう。

 ここで問題なのは信徒たちがこの神の裁きの日まで絶えず祈り続けるであろうかということです。

 私たちはどのようなときにあっても「神は常に苦しむ者と共においでになる」ことを忘れずに、神に希望を持ち続け、「主イエス・キリストよ、おいでください」といつも唱えましょう。

1998年10月25日(聖霊降臨後第21主日)

 「わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去るときが近ずきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、偽の栄冠を受けるばかりです。」(テモテへの手紙・4章より)

 「あなたは悪の力と戦いますか」という問いに対して、洗礼志願者は「神の助けによって戦います」と答え誓約します。

 このように私たちの信仰生活は「戦い」の日々であります。

 それは使徒パウロが神の献げ物としてぶどう酒を注ぎ出すように、自らが殉教の血を流す覚悟の戦いなのです。

 彼は神のみ力により悪に勝利し、必ず勝利の冠を得るという確固たる信仰の喜びを抱いているのです。

 私たちもパウロの信仰にならって悪と戦い、「隣り人の僕となる心」をもって生涯を送り、ついに勝利の冠を頂きましょう。

1998年11月1日(諸聖徒日)

 「先祖たちのなきがらは安らかに葬られ、その名はいつまでも生きつづける」(シラ書44章14節)

 新約聖書では聖霊の恵みを頂いた信徒をすべて”聖なる者”と言っていますが、祈祷書では古代教会時代の伝道者や殉教者を”聖徒”と呼び、東方教会では3,4世紀より三位一体主日に彼らのために祈りを捧げました。

 また西方教会を代表するローマ教会では教皇グレゴリー3世が聖ペトロ大聖堂内に諸聖徒礼拝堂を設けて諸聖徒を記念し(738年)、また教皇グレゴリー4世(9世紀)以降は毎年11月1日に諸殉教者のために祈りを捧げるようになりました。

 間もなくこの日が諸聖徒のための祈祷日、つまり諸聖徒日となりました。

 彼らは「大きな苦難を通ってきた者で、その衣を子羊の血で洗って白くした」者(ヨハネの黙示録7:14)と考えられ、命の書に永遠に書き記されている者とされて、教会では彼らの信仰を尊び、今も彼らのために祈りを捧げているのです。

 なお10世紀には11月2日を諸魂日と定め、亡き教会信徒たちを記念するようになりました。

 この日、地上にある私たちは天にある聖徒たちや信徒たち、また家族や近親者、友人たちを憶い起こして祈りましょう。

 さらに私たちにも神の導きを祈りましょう。

1998年11月8日(聖霊降臨後第23主日)

 「あなたがたをとを聖なる者とする”霊”の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになった。」(テサロニケの信徒への手紙・ 2章13節b)

 現在、ギリシャ第二の都市と言われているテサロニケは、パウロが伝道した時代(70年頃)にはローマ帝国の属州であり、自由都市として自治的市政が認められていました。

 また、この町はエグナティア街道が東西に走る交通の要所であり商業が繁栄していて、ユダヤ人も多く住んでいました。

 パウロは2回目の伝道旅行でこの町のユダヤ教会堂で3回、伝道説教を行い、その結果多くのユダヤ人が改心しました。

 やがてこれがユダヤ教徒の激しい妬みを引き起こすこととなったため、パウロは信徒たちが暴動に巻き込まれることを避けるべくこの町を脱出しました。(使徒言行録17章1−9)

 しかし、テサロニケの教会が不法者によって神の審判の日(主の日)はすでに来てしまったと惑わされ、放縦な生活に陥る信徒がでるのではないかと、パウロは心配でなりませんでした。

 そこでこの教会の信徒たちに《主に愛されている兄弟たち》(2章13節)と呼びかけて警告し、信徒の生き方を諭しました。

 これがこの手紙です。

1998年11月15日(聖霊降臨後第24主日)

 「わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。」(テサロニケの信徒への手紙・ 3章7節)

 『81G98』これは服役中のジーン・ハリスの囚人番号でした。

 米国バージニア州のある有名校の校長だった彼女は、愛人殺害の罪状で1993年まで12年間をアメリカ・バージニア州の刑務所で暮らし、恩赦を得て解放されました。

 ときに69才になった彼女はコネチカット川近くに住んで、厳しい現実に苦しんでいる女性たちの自立を援助するための講演や著作活動をしたり、それで得た利益をすべて献金して収監中に学んだことを実践しています。

 「収監されたとき、あれこれと数多くのことをやりたいとの思いでいっぱいでした。でも、ここでは問題が単純なのです。じっと座って指をくわえて12年間過ごすか、それとも起き上がってなにかをやろうとするか、そのいずれかです。その後者を選ぶ人が幸せになります。」と彼女は自分の経験から怠惰と自己憐憫を戒めます。

 このように彼女に深い影響を与えた人、それはピクトール・フランクルというアウシュビッツ強制収容所暮らしを経験した精神科医師でした。

 パウロも伝道活動の厳しさに耐え「夜昼大変、苦労して、働き続けた」伝道者でした。

1998年11月22日(降臨節前主日)

 「み恵みにより、み子の最も慈しみ深い支配のもとで、解放され、また、ともに集められますように」(本日の特梼より)

 解放、つまり、”解き放される”ことは私たち人間の普遍的な願いであります。

 日本国憲法はこれを国民の基本的人権を保護するという形で言及し、国民の権利である自由と平等は最大限に尊重されなければならないと宣言します。

 しかし、たとえ個人がそのように尊重されても解放には障壁がなお一つあります。

 それは”自己愛”という束縛です。

 エレミヤ書23章は「散らされた羊の群れ」のごとき私たちを神は再び集めて救うという預言ですが、これは捕囚の民イスラエルの解放を告げつつも自己愛をも含む「闇の力」からの救出のときが来るという励ましの言葉です。

 聖アウグスチヌス(354−430)は青年期に北アフリカのカルタゴ、ローマそしてミラノで哲学を修めて教師となり、またマニ教に心酔し、また快楽の生活に陥り、やがて徹底した自己礼賛と自己愛に苦しみ始めました。

 この不安と苦悩の中から故郷タガステに戻り(388)、亡き母のキリスト教信仰を受け入れ、ついに安らぎと救いを得ました。

 ここで詩第6編を読んで祈り、私たちも安らぎを求めましょう。