2005年1月 「トム神父と西部劇」
西部劇に精通されていない方でも、映画監督はジョン・フォードの名はご存知だと思う。彼は気心の知れた役者を何度も使うことで有名で、そこに「ジョン・フォード一座」(ジョン・フォード・ストック・カンパンニー)というものが形成されたそうである。
そこには郷党意識がはっきり打ち出されアイルランド系の俳優が重用されている。ジョン・ウェイン、ワード・ポンド、リチャード・ウィドマークそしてハリー・ケリー・ジュニアー等々。
このハリー・ケリー・ジュニアーは彼の両親も役者で若い頃から映画に親しんで育ったが、26歳のとき巨匠ジョン・フォードに見出され、以後同監督の「三人の名付け親」から最後の「シャイアン」に至るまでほとんどの代表作に出演している。彼は一座の中でも格別、近親同然にジョン・フォードと身近に接した。
このハリー・ケリーの息子トーマス・ケリーがやはり俳優になった。祖父母、父親についで3代目の俳優である。俳優として映画に出たり、舞台に立ったり、脚本を書いたりしていたそうであるが、どこでどうなったのか聖公会のフランシスコ会のトム修士となり、2年前に司祭にも按手された。大学でスペイン芸術を専攻されたゆえ、スペイン語にも精通されており、当教区のフランシスコ会の指導者として昨年9月、サンパウロ教区にやってこられ、修道会の指導の傍ら、教区の諸教会で説教したり、修養会で講演してくださった。
さすがに元俳優、フランシスコ修士服が似合う50台のなかなか美男修士である。
声が人一倍大きく、またいつも笑顔をたえさない。まるで映画の中の修士を画面から持ち出したようである。彼と出会っただれもがその魅力に惹かれてしまう。もって生まれた才能であろうか、その魅力にはいつもこ難しい顔をしている私など、小さい嫉妬さえ感ずるほどである。
いよいよ任務も終わりに近づき、来月末、NYの修道会に帰られることになったが、先日、彼のお父さんハリー・ケリー・ジュニアが書かれた「ジョン・フォードの旗の下に」(筑摩書房)という日本語訳の著書を頂き、初めて上記のような事情を知った。
その後に今度はサンフランシスコから同じくフランシスコ会の修士アントニオ佐藤神父(佐藤儀助司祭)が当教区に来て下さる事になった。
日本には佐藤神父をご存知の方々が多いが、佐藤神父は海外生活が長いにも拘らず、極めて物静かな武士のような佇まいを持たれた、これまた修士そのものといった修士である。岡野主教の後任として日本語礼拝を担当してくださる以外に、教区の種々な会合での精神的な指導者として活躍してくださることを期待している。
フランシスコ会にはすっかりお世話になっている今日この頃である。
サンパウロ 伊東 |