2003年12月 「大衆伝道と聖公会」 昨年ブラジル聖公会より離れ、カリズマチック エピスコパル教会に移り、今年9月同教会の主教となった神学校時代の友人、パウロ・ガルシア師は大衆伝道の権威である。礼拝は約2時間で説教は1時間であるが、その名説教に居眠りするものは誰も居ないといわれる。約30年間で牧会していた教会を会員5千名、日曜になされる3回の主日礼拝に合計3千人が出席し、副牧師が5人居る大教会に育て上げた。昨年、教区主教とぶつかり、司牧教会まるまま聖公会を離れた事は既に報告申し上げた。聖公会に居た当時、彼が毎年主教訪問に際し、300人近い堅信者を推薦していた。300人もの人をどんな風に堅信を施すのかと他人事のように驚いて聞いていた自分が、まさか百人を超える人に堅信をするはめになるとは想像も出来なかった。 このパウロ師の直弟子と称する司祭が私たちの大聖堂の副牧師で、ポ語礼拝を担当している。5年前に就任し、40−50人のみであった会衆を、5年間で会員500人まで増やした(礼拝出席者は300人程度)。今月から従来一回であった礼拝を2回にした。その新しい礼拝時間設定が面白い。従来は日曜日の夜のみであったが、新しいもう一回の礼拝は日曜日の正午からである。土曜日の夜は観劇やコンサート、パーティーで遅くなる中産階級の習慣を見抜いての正午である。日曜日はお昼前に起きて朝食をし、正午の礼拝に出て後で、町のレストラントか、妻の実家で昼食をするという若いカップルの生活スタイルに合わせようとしている。礼拝は祈祷書も聖歌も持つ必要がなく、全てスライドで祭壇の横の幕に映し出される。聖歌は聖公会の古今聖歌は一切使わず、全てカリズマチックなピアノによる現代風(?)聖歌である。会衆は圧倒的に若いカップルが多く、大聖堂の荘厳な礼拝には程遠く、音楽のライブのようなソフトな雰囲気である。 しかし、彼の個人的なカリズマによってなりたっている会衆のように思えてならない。天才的に記憶力が優れ、賠餐の際も一人一人の名前を言い、語りかけながら賠餐させる。何度か彼の車に同乗したが、携帯がひっきりなしにかかり、話をし、最後に必ずその日の聖書の言葉を引用し、祈って電話を切る。全て運転しながらである。猛烈牧師である事は間違いない。朝9時から夜9時まで牧師室で休みなく執務する。 先月末の降臨節第一主日に大聖堂のポルトガル語礼拝で堅信と「受け入れ」(主としてカトリックで堅信を既に受けている方を聖公会に受け入れる式)で110人方々に堅信と「受け入れ」を行った。「受け入れ」も按手の代わりに当人と握手をして聖公会への受け入れを宣言するので、堅信も「受け入れ」も一人少なくても30秒はかかる。そうすればそれだけで1時間となる。堅信が始まったら一人づつに2名の教父母が付き添うので、会衆の半分以上が列を作った。礼拝は延々と2時間かかった。 しかし、110人もの人々に本当に堅信準備が正しく授けられていたのだろうか、という疑問が頭から離れない。つまり、聖公会に惹かれたのか、それとも彼のカリズマに魅せら れ、彼の勧めで堅信を受ける事を決めたのではないか、という疑問である。また、この110人がいつまで聖公会に留まるのか、という疑問もある。聖公会と大衆伝道は両立しうるのか、というきわめて素朴な疑問である。もし、彼になにかがあったら、この会衆はどうなるのか? 増加する会衆に喜びながらも、果たしてこれでよいのか、なにを指導しなければいけないのか、回答を見出せないまま、根深い疑問に頭を痛めている今日この頃である。友人のT兄がこの時の礼拝の写真をHPに掲載してくださった。 サンパウロ 伊東 |