2003年11月 「ブラジル聖公会主教会議」
11月24−25日、ブラジル聖公会の本拠地であるポルトアレグレ市でブラジル聖公会の「主教会議」が開催された。それは恐らくブラジル聖公会の歴史にも残るであろう、開会時から緊張感が会議を包み、苦悩に満ちた主教会議であった。
今年の8月頃から「ブラジル聖公会」のM/Lでそれは言葉に現れさない峻烈な議論が「同性愛主教按手」を巡って議論が戦わされた。保守派、リベラルが命を懸けてと言っても良いほど真剣にその立場を主張した。なんの妥協も許さず、自分の信仰を掛けて戦った。自分の信仰と存在を掛けての論戦であった。当然、人間の弱さから議論が過熱したことも事実である。しかし、両者とも真剣に自分の信ずる点を妥協することなく主張し、戦った。血が流れ火花が散った感すらした。それほど、各自は真剣であった。
この葛藤を経て、その緊張が持続する中、主教会議が開催された。そして主教会教書を作成する予定の朝の聖餐式の中では、一人の主教はこの緊張の中で自分への反対者を許せずに居るまま、陪餐することは出来ない、と「み言葉」の後で退席した。
一緒に食事をし、飲み語り合い、個人的には友人である同僚の主教達が自分の信仰の根拠をかけて、それぞれ対峙している。
同性愛主教按手を徹底して非難し、容認する教区とのコムニオンを否定するとした文書を公開していた保守派の代表的な主教は興奮の末、「自分は預言者である。預言者は迫害され、石にて打たれ、殺されることも自分は覚悟である」と叫んだ。元国立大学教授の博士号を保有する識者であった。
多数派であるリベラル派の主教たちは、保守派の主教が自分達のみが聖書の真理を守り、正統派であると主張する論点を尊重しつつも、論議を一歩的に決め付けるのではなく、論点の多様性を認め、異なる論点が存在することを認め、尊重することを要求した。論議は空回りした。
それは苦悩の対峙であり、各自が心からブラジル聖公会を愛するが故になんとしても分裂を避けたいという苦悩であった。
最後になり、これまで各教区主教は同性愛主教問題に関して、自らの教区民宛ての「教区主教教書」を発表していたが、一番穏健であった首座主教が既に発表していた「主教教書」のみを主教会として推薦し、カンタベリー大主教の指名した委員会の結論を待って、「ブラジル聖公会主教会教書」を来年末に発表を持ち越すことで、最終結論となった。体よいアングリカン特有の先送りのように見えるかもしれない。幾分はそうかも知れない。しかし、会議に居合わせたものの願いは、なんとしても「ブラジル聖公会」の分裂を避けたい、という思いであった。
2日間の会議はそれはしんどい会議であった。しかし、一見、安易な妥協に見える結論にも拘らず、その後、清清しい思いが会議に参加した主教の顔に残った。あれほど辛らつに対峙したにも拘らず、残ったのは戦い終えたスポーツマンの勝敗は別とした力を出して戦った満足感に似た清清しい思いであった。満足や清清しいと言う言葉は確かに不謹慎かもしれない。しかし、他に表現の言葉がないほど安堵に満ちた雰囲気であった。
サンパウロ 伊東 |