2002年7月 日本人移住地の教会 ロンドリーナ サンパウロ州の隣のパラナ州の北部の大平原に英国の土地開発会社が、ロンドンにあやかり、ロンドリーナと言う町を築いたのが1934年と言われるが、国自体があたらしブラジルでも、かなり新しい町に属する。この地に多くの日本人移民がコヒー園の労働者として入植したり、当時全盛であったコヒー栽培を目指して他州から日本人移住者が移り住んだ。 その日本人移住者への開拓伝道を目指して、日本語の先生をしておられた時献身され、その後、当地の神学校を卒業された故金子司祭が開拓伝道を始められたのが1930年代の終わり頃という。 文字通り全くなにもない地での零からの出発であった。 当時の開拓伝道者はポ語が出来たので、移住者の地域社会での世話係であり、相談相手であった。 故伊藤大執事などは移住地から移住地に伝道を続け、昼間は子供達に種痘をしたり、日本語を教え、夕方にはコーヒー園から帰ってくる移住者の散髪を次々されたという(話は変わるが、カトリックの神学者本田哲郎神父は週2回釜ヵ崎で何十人の日雇い労働者の散髪をされ、訪れた私に「これは癒しの行為です」と語ってくださった)。 そして夜になって人々を集め、福音を語られたと言う。一日の労働でくたくたになって、居眠りを始める方々に聖書を解き明かすことはそれは大変であったであろうと正直思う。 金子司祭も近辺のみならず、かなり遠くの移住地まで足を伸ばされた、と言う。 そして、本部の援助で土地のみを買ってもらい、その土地に経済的にはまだまだ乏しい信徒や移住者からの献金で今の聖ルカ教会を建築された。 町の人たちが、今でも写真を撮りにこられるほど小さいが美しい教会である。 芝生に墓石でもあれば英国の田舎の教会とも思える佇まいを持った素敵な礼拝堂である。この教会の会衆は既に2−3世が中心で、それに三分の一ぐらいのブラジル人会衆が加わっている。 この教会の新牧師選考のプロセスに立ち会う為、管理主教の依頼で、按手・就任前ではあるがこの前の日曜日この地を訪れた。神学生時代、冬休みの実習で1ヶ月滞在した土地でもある。 現在、教会の土地は都心部の極めて高価な土地となり、敷地の一部にビルを建てる計画が進んでいる。 ブラジル聖公会の初代の開拓伝道者達伊藤、小野、島貫、弓場、金子各司祭は全員開拓伝道から始めて、今は教区の中心となっている諸教会を建設し私達の教区に捧げてくださった。 私達二代目牧師達には残念ながら、これらの教会を管理するのみで、開拓伝道者の覇気はない。時代が変わったのか、それとも私達二代目は霊的に足らないのであろうか、とつくづく考えさせられる今回の訪問であった。 |