日系移住者とキリスト教(2)


 在ブラジル日系人キリスト信徒に関する数少ない古い統計(1958)の中に、日系人口に対する一世と二世のカトリック信者の比率を比較したものがある。これによると自らをカトリック信者と回答する者は、一世は15%、これが二世になると59%、三世、四世になると70%になる。もちろん、現在ではこの比率は80%を超えていることが想像される。と言うことは在ブラジルの日系人は130万人程度と言われるので、ブラジルの日系カトリック信者は100万人に達するものと思われる。もちろん、自らをカトリック信者と考えても、ミサに毎週参加される方は全体の10%程度と考えれば、それでも10万人となる。聞く所によれば日本の日系人就労者が多い町のカトリック教会の信徒の半数が日系ブラジル人であることも肯ける。これに比してプロテスタントの日系ブラジル人(1世を含む)は、教団をなしている聖公会、ホーリネス、自由メソジスト、ナザレ、ホサナ、アライアンスに単立教会を含めても、総数1万人程度ではないかと想像している。もちろん、日曜礼拝参加者数となればもっと少なくなるであろう。

 国勢調査によれば、ブラジル人の9割は神を信じ、キリスト者と自らを見做しているので、キリスト教の中に、あらゆる傾向をもった宗派や、ムーブメントが存在する。その中で飛躍的に伸びているのがペンテコステ派である。ブラジルの各地を旅行して、どの町にも必ずあるのが、カトリック教会とアッセンブリー・オブ・ゴッド教会である。統計ではペンテコステ派は人口の13−4%に過ぎないが、その日曜礼拝参加者は信徒の5割を越えている。ペンテコステ派の日系牧師で日曜ごとに一千人程度の会衆を集める方も居られる。伝統的なプロテスタント諸派が都会の中産階級の一部を捉えただけに比して、ペンテコステ派は都会の大衆階級のみならず、農村にまで入り得た。これがペンテコステ派の飛躍的発展の原因であろう。日基の宣教師として10年間サンパウロで働かれた故小井沼国光牧師はなぜ、ペンテコステ派のみが農村に入り得たか、について「アフリカの黒人、またインヂオ(土着民)の血が文化の基層に深く流れているブラジルにおいては、ペンテコステ派が強調する{異言の賜物}と並んで、{癒し、奇跡―悪魔払い}などが、苦難に満ちた人々の生活を根底から支え、希望を与えるものとして受け入れられたからであろう」とされていることに私も同感である。それに加え、農村におけるカトリック司祭不足も挙げられるであろう(結婚問題で司祭職を放棄した神父はブラジルのみで5千人近く居り、これも司祭不足に拍車を掛けている)。統計上ではブラジルのカトリック信徒1億3千万人に対して、司祭は約1万5千人(因みに司教は約350人)であり、一人の司祭が数の上では8千5百人をケーアーすることとなる。このため、特に農村部では肌理の細かい牧会は物理的に不可能で、この事もペンテコステ派の躍進を許したのであろう。これに離婚者の再婚を認めないカトリク教会(離婚者はミサで聖餐に預かれない)に比して、離婚に対し緩やかな判断を示すペンテコステ派また、年々増加する離婚者のケーアーの上で有利に立っている。司祭不足はブラジル・カトリック教会に二つの大きなムーブメントを促した。一つは新しいカリスマ主義運動である。カリスマを持つ神父がショウー形式ばりの装置と新しいリズムの音楽を加え、大会衆を集め、一体感を感じせしめる。同じく小井沼牧師は「麻薬と暴力と失業の危機の中で、一時的にも孤立とストレスから解放され、生きていることの喜びを再確認する祝祭の時である」とカリスマ主義の「大衆動員運動」と解釈しておられる。ブラジルでは全国で百人近い大衆伝道神父がおられるが、その最も著名な神父はマルセロ・ロッシ神父で毎日曜日、朝6時からのミサでは5千人を集めるだけではなく、そのミサはブラジル全土に著名テレビを通して同時中継されている。2000年にはF1の自動車競走場に約百万人の会衆を集めた。毎年、11月2日の「諸聖人の日」のミサには50万人の会衆が集まる。マルセロ神父をして、このムーブメントへ駆り立てた動機は、同神父によれば、ペンテコステ派によって侵食された一般大衆の失地回復が目的であったと言う。第二のムーブメントは「解放の神学」に連携した世界でも珍しい大規模な信徒奉仕者の活用であろう。ブラジルでは信徒奉仕者の養成コースで研修を受け、正式に教区司教より信徒奉仕者に任命された方々が結婚式の準備、挙式,葬式、そして司祭によって聖別された聖品を用い「集会祭儀」を行い、講話を伴う礼拝を司式する。しかもその半数は女性である。私もカトリック信徒の知人の結婚式にある土曜日招かれ、サンパウロ近郊の大聖堂に行った時、驚いたのは次々、結婚式を司式されるのは白い祭服を着た夫婦の信徒奉仕者であった。結婚希望者は3ヶ月の間、毎週土曜日の半日、夫婦の信徒奉仕者より性生活を含む結婚生活とその聖書的意義を学び、その総纏めとして夫婦の信徒奉仕者が結婚式を司式すると言うことであった。知人のカトリック司教から結婚式の6−7割は信徒奉仕者によって準備され、司式されると聞き驚いたことがある。信徒奉仕者用の特別な祭服も作られている。女性聖職はいないが、現実には多くの女性が祭壇で結婚式を司式し、講話をなし、「集会祭儀」を行っているのもブラジル・カトリック教会の一面である。NCCに相当するCONICにはブラジル・カトリック教会も正式メンバーとして参加しており、メンバー(カトリック、ルーテル、聖公会、メソジスト、プレスビテリアン、アンチオキア正教会、改革派教会)間での洗礼の相互承認を20年前から行っている。それまでは転宗派の際、再洗礼を行っていたのであるから、大きな進歩であった。

参考文献:
「在伯邦人開拓伝道者の生涯―ブラジル聖公会大執事伊藤八十二氏の追悼」
佐藤早苗著「奇跡の村」
サンパウロ人文科学研究所編「ブラジル日本移民年表」
小井沼国光著「先駆ける「煉獄時代」のブラジル
小井沼国光著「異国の空の下で」
John Mizuki [ The Growth of Japanese Churches in Brazil]