人生の三分の二を海外で暮らしていても、言葉は難しくおそらくこれ以上はあまり上達しないで、この地に骨を埋める事になるであろう。娘たちは親父のポルトガル語の誤りを指摘し、親父が気分を悪くする事を懸念してか、よほどの大きな誤り以外には口を出さないが、小さい孫はそんなことは関係なく、全く遠慮なく爺の発音の誤りを笑い、訂正してくれる。
大きくなって海外に出て言葉を習得した者は、恐らく特殊な方を除いて、殆どの凡人は完全にはその国の言葉を習得しないで、終わるのではないであろうか。
その意味で外国語の誤りで、多くの笑いを生ずる事は自然かもしれない。
昨日まで田舎周りをしてきて、仕入れてきたネタをご紹介いたしたい。
1)奥地の日系三世の医者がその地の日系駐在員の奥さんを診察した時の話:
「奥さんは少し心が悪いとおれ思う」「(憤然と)どうしてですか!」 (本当は「心臓が悪い」と思うと言いたかった)
「おばさん、糞する」「ホホホホ^^」(本当は「ちゃんとお通じがありますか」と言いたかった)
2) 駐在員から職業を聞かれた日系3世
「おれ、鶏の女子を売っている」「????」(彼の職業は廃鶏ー卵を産まなくなった鶏、を食用に売ること」
3) 夜、駐在員に出会った日系4世。なんとしても「今晩は」、の挨拶がが思い出せず咄嗟に「良い夜」
今度は私が実際に経験した話:
40年近い昔、まだこちらの神学大学生だったとき、同級生に奥地育ちの完全に日本語が出来るが、ポ語はあまり得意でない二世の同級生が居た。
夕の礼拝のとき、彼は当番で聖書日課を読む段となった
[Mas, se nao podem conter-se, casem-se; Porque eh melhor casar doque abrasar-se]
(しかし、、もし、自制することが出来ないなら、結婚するほうが良い。情の燃えるよりは、結婚するほうが良いからである)
彼は咄嗟にこのabrasar-seをアブラサールと読んでしまった。Sであっても母音の前ではSをザと発音し、アブラザール(燃える)と読まなければならないのをアブラサール(抱く)と読んでしまった。途端に厳粛な礼拝堂は爆笑に包まれ、何人かの教授は思わず外に飛び出した。
なぜか忘れたが私は大学の同級生に、ある人の噂をし「彼女は冷たい女だ」と言いたかった。しかし口から出たポ語は直訳の[Ela eh mulherfria](彼女は冷感症だ)。
同級生「????」(どうしてお前はそんな事を知っているのか?)
サンパウロ 伊東 |