Notícias Diocesanas 125 - abril 07


サントス市諸聖徒教会での司祭按手(中央レアンドロ新司祭)


 

1.    レアンドロ執事の司祭按手

ラジルの最大の港であるサントス市に英国教会のチャプレンシーが設けられ、会堂が建設されて、丁度89年目の421日、ブラジル人会衆と英国人会衆を重 ね持つ諸聖徒教会で、レアンドロ執事の司祭按手が行われた。現在はブラジル聖公会に属するが、同教会は同市の英国人の牧会を目的に89年前建築されたもの。英国の教会の様式に沿って建設され、ブラジル聖公会の最も美しい教会の一つとされている。レアンドロ新司祭はローマ教会出身で同教会の熱心な信徒奉事 者であったが、既婚者であったため、執事にはなれても、司祭にはなれない現実の前に、転向を決意、サントス市の聖公会に転向、4年間、メソヂスト神学大学 で学び、合わせて3年間の聖公会教区神学校を卒業した。

社会福祉士としてサントス市役所に勤務しながら、70キロ離れたメソヂスト神学大学に夕方からバイクで4年間通学、帰宅は深夜という困難にもかかわらず昨年無事卒業された。

年、伊東主教より執事に按手され、今回、司祭按手を受けたもの。同司祭が所属していたかってのローマ教会より、レアンドロ司祭の元主任司祭が按手式に出席 した。他にもう一人のローマ教会司祭と同新司祭の友人のルーテル教会牧師も参加するエキュメニカルな按手式となった。同新司祭は引き続き諸聖徒教会副牧師 として勤務する。

     

 レアンドロ新司祭の按手式の模様

 

 

Rev. Leandro

 

 

詳しい写真は http://www.dasp.org.br/codigos/pt/paginas/galeria.htm

 

 

2.    Semana Santa

4月初めの聖週では木曜日、大聖堂チャペルにて教区主催の聖木曜日の聖油聖別と司祭団による、司祭按手時の誓約の再誓約が教区主教の前でなされた。また聖金曜日の受苦日礼拝も大聖堂で行われ、7人の教区神学生が「十字架の上の7言葉」について、それぞれ瞑想した。

     

福音書を読むマリエーナ司祭 と伊東主教                      大聖堂の入り口の教区神学生

 

 

.    ゴヤンベ市昇天教会

ンパウロ教区には現在もなお、日系人が99%を占める日系教会が3教会ある。その一つにサンパウロから奥地に向かって400キロの地にゴヤンベ市という現 在は小さな町がある。ブラジルのどの町に行っても、市の中心の公園の脇にはローマ教会の会堂があるが、この町の中心の公園にはローマ教会と聖公会の教会が両立している。現在は日本人移住者が他の町に移動したため、小さな町となったが、かってはコヒー栽培の大きな日本人移住地であった。1933年、九州神学 校卒業した故小野謙蔵執事が開拓伝道を始められた、1935年には記録には主教訪問と堅信式が記載されている。1937年日本人移住者だけの尽力によって 現在の会堂が完成した。故小野司祭がペレイラに移動された後に、ロンドリーナ市より故金子司祭が赴任された。故金子司祭が1964年モジ市に転勤後、現在に至るまで4十数年、定住聖職をもたないが、管理司祭の牧会のもと、同日本人会衆は現在に至るまで礼拝を欠かすことなく過ごしている。現在は250キロ離 れたグアラサイ市より森忍司祭(故森譲主教の甥)が80歳に近い高齢にもかかわらず、同教会を月に2回訪問されている他、やはり150キロのアラサツーバ 市より月2回ブラジル人司祭が訪問されている。礼拝には毎回30名近くが出席し、今回、古くなった会館に加え、外部から一切の援助を受けることなく、自力 で新しい会館を新築した。その聖別式が4月8日の復活日になされた。

会館に集った昇天教会の日系信徒

    4)伊東主教の訪日

伊東主教夫妻は3月末より、2週間の休暇をとり、故郷の奈良に居住される同主教の96歳の母堂を訪問するため訪日された。京都教区では、2年前ブラジルに2年間滞在された、岡野主教のご案内で、京都教区事務所に高地主教を訪問、同主教と最近のアングリカン・コムニオンの内部対立につき、またブラジル聖公会の最近の動向につき、懇談され意見を交換された。